【野生】森本慎太郎の音楽的素晴らしさを語る。
メンバーやファンからは勿論、行く先々でいつも皆に愛されている、森本慎太郎。
メンバー曰く『子供のファンが1番多い』との話も大納得、SixTONESの素直で真っ直ぐな愛すべき末っ子です。
しかし、ステージに上がるとその姿は一変。
高い身体能力に定評があり、その身体から繰り出されるダンスやアクロバットは、我々の目を釘付けにさせます。
また、大人なこなれ感がありながらも光を放つパフォーマンスで、会場全体を魅了する事も少なくありません。
今回は、そんなギャップを持つ森本慎太郎の音楽的素晴らしさを語ります。
まえがき(という名の保険)
これ以降の内容は、完全なる個人的見解と考察になります。
尚、筆者は音楽的な専門性や分厚い知識を持ち合わせている類の人間では一切ありません。
言ってしまえば、そこら辺にいるただの音楽好きです。あと声フェチです。
その点、どうぞご了承ください。
間違っている事がありましたら、(出来れば優しく)教えて頂けると助かります。
(初めて声フェチをブログで暴露した時は多少どぎまぎしたのですが、今や何とも思わなくなってきました。一切の抵抗無くナチュラルにフェチを暴露出来るのは良いものですね。笑)
森本慎太郎の音楽的素晴らしさ
では、早速本題へ参りましょう。
慎太郎の音楽的素晴らしさは、大きく分けて以下の3つだと考えます。
①声そのもの(特に声の核の位置)
②音楽的運動神経
③SixTONESにおける音楽的ポジション
順に解説(という名の考察)して行きます。
①声そのもの(特に声の核の位置)
慎太郎の声には沢山の魅力がありますが、その中でも最も特徴的なのが『声の核の位置』だと自分は考えています。
『声の核』とは読んで字の如く『声のコアの部分』のことで、自分が勝手にそう呼んでいるオリジナルの呼称です。笑
(巷にある表現で1番近いのは『声の重心』でしょうか。)
当然、声の核の位置によって、その声が周囲に与えるイメージや印象が変わってきます。特に、その位置が『高いか低いか』の要素は歌声に影響が出やすいと自分は思っています。
ちなみに、この『声の核の位置の高低』は『音程』とは全く別物なので要注意。
例えば、音程は低めだが核の位置が高めの方だと嵐の松本潤さん。音楽番組での歌やバラエティ番組で喋っている声を聴く限り、声そのものの音程は低めに感じられます。
一方、音程は高めだが核の位置が低い方ならSuperflyのボーカルである越智志帆さんが分かりやすいです。思うに『高い音を歌っているのにそんな高そうには聞こえない』方々は、このタイプが多い気がします。
(まあ越智志帆さんの場合は、その圧倒的歌唱力による所も大きな理由ではありますが…。)
さて、本題の慎太郎の場合ですが、彼の声の核の位置は『高め』です。
彼の声は、SixTONESファンの間でよく『キャラメルボイス』と例えられますよね。
実はこの例えは、上記の観点からしても非常に言い得て妙なんですよね〜。
『キャラメルの甘さ』を想像してみて欲しいのですが、あの甘さは口の中に広がって割とすぐに『口の上の方(喉に近い部分)』を刺激する感覚がありませんか。
つまり、キャラメルの甘さも『核の位置が高め』と言えるんです。
更に、『声の核が高い』ことは即ち、『声の構成成分の分布位置が高い』ことを表します。
(核の周りに成分が密集する為、『核の位置が高い』=『成分の分布位置も高い』となる。)
自分が考えるに、この『声の成分分布位置が高い』ことによって出せる印象の代表格は、『初々しさ』『動的エネルギー』『はつらつとした感じ』『キラキラした青春』といった様な『若さと光』を感じさせる印象です。
(余談ですが、声優さんの『声の年齢感』の調節は、声の音程は勿論、上記の『声の核の位置』も変える事で行なっているように思います。自分がこりゃすげぇな!と思ったのが、『ヲタクに恋は難しい』で花子役をされていた沢城みゆきさん。コミックス7巻特装版のOADで、社会人時代と高校時代の演じ分けをなさっていたのですが、これがもう本当に凄かった。声の音程はほぼ変わらず、本当に『年齢だけ違う』のをバッチリ表現されています。すげ。花子は私の推し。てか樺花が推し…!伝わる人いますかね?)
実際、慎太郎が普段喋っている時の声は、若い動的エネルギー感やハツラツ感に満ち溢れており、『近所の元気な兄ちゃん感』を感じさせる事もしばしば。少なくとも脱力感・無力感は一切ありません。
例えるならば、『夏の日光』でしょうか。
夏の日の光は位置的にも高く、特有の高いエネルギー感と、しっかり主張する若い輝きは、慎太郎の声の特徴やイメージにぴったりです。
彼が歌い始めると、その声はより一層、きらめきとエネルギーを増し始めます。
それは、夏の木漏れ日の優しくも強いきらめきや、夏の海に反射した日光の眩しく細かいきらめきにも似ています。
慎太郎パートになった途端に現れる、キラッとした光を放つあの瞬間は、聴衆を『あっ!』と目を見開くような感覚にさせます。あの現象は彼以外には作り出せぬ代物でしょう。
(You & Iとかキラッキラですよね。)
ファンの間で『慎太郎の声はアイドル感がある』と言われる所以の1つは、この点にあると自分は考えています。
慎太郎の声は、文字通り『キラキラのチャームポイント』ってわけです!最高やんけ。
②音楽的運動神経
この話は長くなりそうなので、先に結論を申し上げましょう。
森本慎太郎は音楽的に野生です。
この場合の『野生』とは、『野生的感覚を強く持っている』という意味になります。
特に分かりやすい、彼の『リズム感』と『ダンス』に焦点を当てて考察して行きます。
リズム感
まずは、彼のリズム感について。
『リズム感とはそもそも何ぞや?』という話なんですが…。それもそのはず、『リズム感』と一口に言っても、その要素は山程あります。
森本慎太郎はそれらの中でも、音楽の中にあるリズムへの『感度』がめちゃくちゃ良いです。『リズムを聴き取る耳が良い』又は『音との距離感が近い』とも言えます。
NEW ERAでのノノノ無双(『I wanna〜no...』の部分)は、高いリズム感度を持つが故に為せる超技術です。素人がやったら『ののの』とただ言っているだけに聞こえてしまいます。慎太郎が歌うからカッコ良くなる、彼の専売特許パートと言っても良いでしょう。
ダンス
次に、ダンスについて。
(いよいよダンスまで語り始めましたね…大勢の前で踊るなんて運動会くらいしかやった事ねぇ奴が筆者である事を忘れずに読んで欲しい…!)
そもそも、ダンスには大きく分けて『音楽派』と『美術派』の2種類があると自分は思ってましてですね…。
音楽派は、聴覚に訴える踊り方です。
そのダンスを見ると、音量の大小は様々ですが、音が聞こえてくる又は見える感覚があります。(これって私だけか?!)
こちらの方々はダンスが音楽寄り。自分はやっぱり音楽が好きな人間なので、この手の方を見つけると嬉しくて秒で覚えます。
(余談ですが、音楽派の最高峰はやはりマイケルジャクソン一択。全く詳しくないけど以前ちらりと動画を見て、この人は身体と音との間に繋ぎ目が無いんだなぁと思いました。私でもどエラい神様だと分かる。そら崇拝もされますわ。)
(更に余談ですが、BTSのJ-HOPEさん。うーわこの人はめっちゃ音が聞こえると思った。BTSは妹に良いぞと言われつつスルーしてたんですが、Dynamiteでテレビに出まくっている時に初めてちゃんと観て即覚えたし音源買ったよね〜Retro Remixが好き。これまた全然詳しくないけども、アルバムも何個か買いました。)
(重ねて余談なんですが、SnowManの岩本照くんはこの観点からして、素人目でもすんごいです。Crazy F-R-E-S-H Beatの映像欲しさにD.D.初回盤買った。スノ担じゃない上、ひーくんについてこれ以上語り始めると本気でブログ1本分くらいになりそうなので我慢します…。)
一方、美術派は視覚に訴える踊り方です。
踊り手の身体そのものが美しく見えるようなダンス。こちらは美術寄り。芸術作品と言った方が近いかもしれん。巷で『魅せ方が上手い』と言われるのは大抵この人達だと思います。
分かりやすい例を挙げるならば、登美丘高校ダンス部のバブリーダンスですね。完全なる視覚美。あと、これは芸術作品だな!と思ったのはSnowManのさっくんとTravisJapan。トラジャなんてグループでそれをやっちゃうから凄い。Happy Groovyのダンス動画何回も観てます。
さて、今回の主役である慎太郎ですが、彼はほぼ間違いなく『音楽派』でしょう。
彼のダンスは非常にナチュラルです。とにかく自然で、無理をしている感じが一切ありません。
(ソロ曲のI'm In Loveのパフォーマンスを初めて観た時、『この人はなんて自然に踊るんだ!』と心底驚いた。)
慎太郎が踊る時には、音に身を任せている様にも見えます。彼の身体能力の高さがそれを助長し、より自由なダンスになる。おそらく彼は、頭の中のイメージ通りに身体の動かすのが相当上手いはずです。
(高校生の時に隣の席だった人が、『運動神経とは頭にあるイメージ通りに身体を動かす能力の事だ』と言っていて、確かに!と思った体力測定前の思い出。私の結果は散々だったけれど。笑)
更に、慎太郎は『この振付だからこう動く』というよりも『音楽を聴いて、こう動きたいと思いつつ動いた結果、こんな風に踊った事になっていた』みたいになっていそうな節が多々あります。その音が流れたから、ごく自然にその動きをしている、という感じで。
だから、慎太郎のダンスは『振付を入れられている感』がかなり薄い。
おそらく彼は、神経を信号が伝わる速度が一般的な相場よりもかなり速いのではないか、と自分は予想しています。脳でこう動きたいと思ったらもう動いている。そのタイムラグがほぼゼロに近いんですね。
(多分、反射神経も相当良いと思う。)
それらによって出来上がる音楽的運動神経
森本慎太郎の本当の凄さは、ここからです。
彼の場合、ここまで話した『リズム感度の良さ』と『ダンスの上手さ』は、協力関係にあると思われます。
現時点での彼は、『ダンスが上手いからリズム感度が良い』とか『リズム感度が良いからダンスが上手い』とかの次元ではなく、それらが完全に両輪で回っているのです。だから凄い。
加えて、上記の様なリズム感とダンス力は、どちらも『感覚』に依存する割合が大きいです。
これらの特徴は、『音楽的運動神経が良い』と表現する事が出来ます。
以前、樹の音楽的素晴らしさを大考察する記事で『樹は音楽的学力が常軌を逸脱している』といった内容を書きましたが、慎太郎の場合は学力というよりも『運動神経』の方がしっくり来る気がします。
(以前何処かで、椎名林檎女史が『音楽の才能というのは一種の運動神経に近い』的な事を仰っていたのも見かけた事がある。)
田中樹の音楽的素晴らしさをを大考察した前述の記事はこちら↓ご興味あれば是非どうぞ。
shea-butter-six.hatenablog.com
慎太郎の音楽的運動神経を目撃したい方は、ストチューブに上がっているダンス動画を見て頂くのが1番手っ取り早いです。
(特にNAVIGATORのダンス動画は、慎太郎の持つ音楽的運動神経の良さが遺憾無く発揮されています。間奏部分は激烈に凄いです。サラッと踊ってしまうあのスマートさとナチュラルさを是非体感して頂きたい。必見。)
このレベルになり始めると、理論なんかじゃ追いつけなくなってくるんですよ。
多分、何でそんなにナチュラルに踊れるの?と聞かれても、慎太郎は『踊りたい様に踊っているから。』と答えそうな気がする。もしくは『俺も分からん。』って言うかもしれない。
きっと、それが彼の普通で、デフォなんじゃないかな、と。(…恐ろしい子!)
これはもう野生動物レベルの感覚です。
野生的感覚を持ってる人に『何で?』と質問したとて、その人は『出来るもんは出来る』としか言えないですよね。
鉄腕DASHのシンタローの行動やイメージから『慎ちゃん野生児ww』等と言われているのをしょっちゅう目にしますが、自分に言わせりゃ音楽的にも十分『慎ちゃんは野生児』です。
一体どんな生活をしていたらあの高度な音楽的運動神経は身につくのでしょうか?
凄い野生児ですよ、森本慎太郎は。
③ SixTONESにおける音楽的ポジション
ここからは①と②の内容を踏まえて、それらの強みをSixTONESというグループ還元する際の話です。
まず何より、慎太郎の声が加わる事で、グループの持つ声の成分分布をかなり広げる事が可能になります。
位置的に高い上の層の声成分を慎太郎が補完増強。きらめきも足され、声としての守備範囲が広がる。それは即ち、『SixTONESの音楽への攻撃範囲が広がる』という事です。
更に、声の成分の分布が広くなる事は、音楽に大衆性をもたらします。
(偏りが少なく幅広い方が聴きやすくなる。)
多くの日本のアイドルが複数人所属のグループで、且つサビをユニゾンで歌う理由の1つはそこにあります。色々な声を集めて混ぜて分布を広げる事で、その音楽を誰にとっても『聴きやすい』ものにする事が出来るから。
ここ最近、サビをユニゾンで歌う事に対するトレンドは変わってきていますが、それでもメンバーの声の分布にバラつきがある事は強みです。1曲通して様々な音を聴かせられるわけですからね。これも『誰でも誰かの声は刺さる』という大衆性を出す戦略です。
大衆性は、アイドル性とも言い換えられます。
例えば、時代の先頭を走っていたSMAPは、大衆に支持された結果、その時代の『王道のアイドル』と呼ばれています。
大して詳しくはありませんが(n回目)、元来SMAPは『アイドルらしい』とは言われていなかったんじゃなかろうか、と思っていて。
その実、子供の頃の自分は、SMAPを『アイドルグループ』というよりも『面白集団』と思っていました。中居くんの良い塩梅の自虐ネタとか、慎吾くんのコントとか。吾郎ちゃんに至っては、本や映画が好きなマイペース紳士というイメージが今でも強いです。
しかし、SMAPは間違いなくトップになったアイドルだと世間に思われているわけで、それは彼等のアイドル性即ち大衆性がそうさせたのだと考えられます。
この『大衆性=アイドル性』を、慎太郎の声はSixTONESの歌声にもたらしているのです。
更に、慎太郎の持つ素晴らしい音楽的運動神経によるダンスは、SixTONESの音楽における視覚方面を大きく担っています。
音楽派のダンスは、音楽を可視化します。
つまり、慎太郎のダンスや動きによって、SixTONESの音楽は『聴く』のみならず『観る』事が出来る様になるわけです。
実は、これもまた、SixTONESの音楽の大衆性を増幅させる要因になります。
世の中の人間は皆、多少の差はあれど『より優位な五感』を持っており、『音楽を聴くよりも観た方が頭に入るし楽しめる』という人々も当然一定数います。
したがって、『観る音楽』を提供出来るならば、『視覚優位の人を含む、より多くの人々にSixTONESの音楽が刺さりやすい』状況を作れる。そうやって、大衆を味方につけやすくする事が可能になるんですね。
『大衆性』って、半端ない超強力武器だと思いませんか。
森本慎太郎は、その超強力武器をSixTONESに持ち込んだ。
最強かよ!向かう所敵なし!!
あとがき
以上から分かるのは、『森本慎太郎の存在がSixTONESの可動域を広げている』ということ。
きっと、慎太郎がいるから挑戦出来たり、より仕上がりが良くなったりした曲が沢山あるんじゃないかな、と思います。
森本慎太郎は愛される人です。
彼が居ることで、SixTONESはもっと愛される存在になるはず。
音楽的にも、本質的にも。
愛すべき存在が、常に温かな愛に包まれ、それに守られていて欲しいと強く願っています。
愛される存在にして、愛すべき存在の森本慎太郎に、心からの敬意と感謝と愛を込めて。
ここまで読んで下さった猛者の貴方にも、心より感謝申し上げます。
彼と彼を大好きな人が、それぞれにとって幸せでありますように。