磨くは原石、精製は油脂

SixTONESについてのごくごく個人的な話をします。

【日本から世界へ】松村北斗の音楽的素晴らしさを語る。

 我が推しのアイドルグループ、SixTONES

 現在、彼等は4thシングル《僕が僕じゃないみたいだ》の発売を2月17日に控え、いよいよプロモーション活動を本格化しようとしています。(既に1月29日のMステでこの曲をパフォーマンスする事が決定しており、筆者もワクワクが止まりません。うほほーい!)

 

 それに伴い、各種メディアにドンドコ出始めているメンバーがいます。

 

 彼の名は、松村北斗

 

 それもそのはず、来たる2月19日に公開される映画『ライアー×ライアー』にて、北斗は今をときめきまくっている女優の森七菜さんと共にW主演を務めるのです!めでたい!!

(マスクして 

 劇場行こう 

  ライアー×ライアー ……筆者、心の川柳)

 前述の4thシングル曲である通称《僕僕》は、この映画の主題歌として書き下ろされた楽曲ですから、当然シングルと映画のプロモーションは同時進行で行われるでしょう。

 現に北斗は、表紙を含め、どえらい数の雑誌掲載が決まっています。

(誇張ではなく本当に"どえらい"冊数です。20冊以上はあるんじゃないか?しかも多分また追加されそうですよね。ほえー北斗働いてんなぁ。)

 更には、先週スタートしたばかりの、日テレ系列で毎週土曜夜10時から放送されている、ドラマ『レッドアイズ』にもレギュラー出演しており、彼が多忙を極めている事は容易に想像がつきます。

(チーム戦のサスペンス系がお好きな方はきっとハマる。アクションもあって面白いです。何よりメインキャラの布陣が最高。TVerでも無料配信されていますので是非。I am watching them!)

 

 今の所、筆者というよりも、ひたすら北斗の出演作品を宣伝する人になっていますが笑、お察しの通り、彼は映像作品の俳優として特に高く評価されています。

 

 『それに加えて松村北斗は音楽的にも素晴らしいんだぞ』という話をしに、今回は遠路はるばるやって参りました。

 最後まで、何卒。

 

 

 

まえがき(という名の保険)

 自分は、音楽の専門家でもなければ、音楽を仕事にしているわけでもありません。

 分かりやすく言えば、ただの音楽好きで、ちょっと声フェチなだけの人です。

 ですから、これ以降の内容は、完全なる個人的主観と考察となります。

 その点、ご理解頂けますと幸いです。

 何か間違っていましたら、(出来れば優しく)教えて下さい。宜しくお願い致します。

(この項はお家芸になりつつありますね…笑笑)

 

 

松村北斗の音楽的素晴らしさ

 早速、本題へと参りましょう。

 松村北斗の音楽的素晴らしさは、大きく分けて以下の3つであると考えております。

 

 ①声そのもの(特に声のウェット感)

 

 ②歌詞との親和性

 

 ③SixTONESにおける音楽的ポジション

 

 順に解説(という名の考察)して行きます。

 

 

①声そのもの(特に声のウェット感)

 北斗の素の声の最たる特徴は、『声のウェット感』でしょう。

 それもただのウェット感ではなく、『声の湿度がめちゃくちゃ高い』のです。

 

 北斗が普段喋っている時の声は、温度感は基本低め、柔らかい感じはありつつ、その時々による良い意味での独特な『揺らぎ』と『深さ』が感じられます。

 歌い始めると、その声は『温度感』、『揺らぎ』、『深さ』と全要素において変化が現れますが、高い湿度は常に保たれたまま。

 

 例えるならば、『水』です。

 それも、『一定量溜まった状態の水』。

 彼の声の水は曲によって、夏の浅い小川になったり、梅雨のアスファルトの上の水溜りになったり、冬の冷たい池になったりします。時には、滅多に人の寄り付かない底無し沼の様な雰囲気を出す事もありますよね。

 

 北斗の声の大きな魅力はまだまだあります。

 中でも特筆したいのが、『鼻濁音』です。

 そもそも『鼻濁音』とは、ざっくり言うと『濁音っぽく且つ鼻に抜いた発音』の事です。『鼻にかかった感じの声』と言った方が分かりやすいかもしれません。

 鼻濁音は、実際の濁音(特にガ行)は勿論、濁点の付いていない音でも発生します。特にナ行は、色々なアーティストさんが鼻濁音で歌われているのをしょっちゅう耳にします。

(実際に鼻濁音は歌唱テクニックとしても認識されているっぽいです。ググると出てきました。)

(余談ですが、素敵な鼻濁音を聴きたい時におすすめなのは山口百恵さん。特に、『さよならの向う側』は随所に魅惑の鼻濁音が散りばめられており、うっとりする素晴らしさです。数年前、三浦祐太朗さん(山口百恵さんの息子さん)がこの曲をテレビ番組でカバーされていたのですが、その際インタビューで『百恵さんから何か歌へのアドバイスは貰いましたか?』という質問に対し、『この曲は鼻濁音を上手く使うと良いよ、と言われました。』的な事を仰っていました。とりあえず、良き鼻濁音を聴きたくば百恵ちゃんを聴け!と言っておきたい。)

 

 北斗は、素の声の時点で既に、ちょっと鼻にかかった感じがあります。

 その要素が歌う事によって増幅され、曲中に魅力的な鼻濁音を連発。

 鼻濁音によって生まれるニュアンスは、加減が難しく、下手するとネタっぽくなってしまうのですが、北斗はしっかりと音楽的ニュアンスとして鼻濁音を成立させています。

(Telephone・光る、兆し・ってあなた辺りが分かりやすい。ナ行に注目して聴くと良いかも。)

 

 この鼻濁音が、彼の声の『ウェット感』により拍車をかけており、それが巷で言われる『色気のある歌声』に繋がっていると思われます。

 

 ちなみに、この場合の『色気』とは、具体的には『静的引力』の事です。

 個人的イメージなのですが、北斗の歌声って『黙ってじっとこちらを見つめている』感じがあります。

 決して北斗側から近付いてきたり、力尽くで引きずり込んだりはしない。でも、彼の歌声を聴くと、いつの間にかこちら側から歩み寄りたくなる。もしくは、『吸い寄せられる』と言った方が近いかもしれません。

 そういう意味での、『静的引力』なのです。

 北斗の歌声は、その『静的引力』が強い。

 

 前に上げた京本大我の音楽的素晴らしさを書いた別記事でも語り散らかしているのですが、きょもの歌声の場合は、『能動的引力』です。

 きょも側から能動的に手を差し伸べてきて、ガッツリアプローチしてくる感覚があります。

 

きょもの歌声の能動的引力について書いた記事はこちら↓ ご興味ありましたら是非。

shea-butter-six.hatenablog.com

 

 対して、北斗の歌声は『能動感』と言うよりも、聴く側からしてみれば『ただそこに居るだけで引き寄せられてしまう』感覚が強いです。

 だからなのか、彼の歌声を聴くと、良い意味で酔いそうになるんですよ。『陶酔』出来る。

 この現象は、歌声に静的引力があるからこそ起こせると自分は考えています。

 

 北斗担の皆様が、松村北斗の存在自体に陶酔気味な傾向がある(様に自分には見える)理由の1つは、この『歌声の静的引力』だと思われます。

 北斗のあの感じがドンピシャでハマったら、こちら側は多分もう陶酔するしか術が無いんですよね〜しゃあねぇあれは酔っちゃうよね〜。

(彼の歌声が静的引力MAX時の個人的イメージは、ラム酒又はブランデーです。甘め且つ度数も高め。無論酔うしかない。)

 

 

②歌詞との親和性

 北斗はおそらく、パフォーマンス時にめちゃくちゃ歌詞と親和しています。

 

 今回は、そう思っている裏付け(という名の個人的見解)として、『声と日本語の共鳴』『言葉との距離感』の2点に焦点を絞り、考察を展開していきます。

 

 

声と日本語の共鳴

 まず、声を大にして言いたい。

 松村北斗は素の声の時点から、声と日本語との共鳴がはちゃめちゃに素晴らしいです。

 

 この件を喋る為に、自分はこちらに見参したと言っても過言ではありません。

 

 そもそも『日本語』は、『ウェットな質感の言語』とも考えられます。

 

 現代語においては、挨拶の『こんにちは』と『さようなら』が分かりやすいでしょう。

 『こんにちは』は、漢字にすると『今日は』となります。これは『今日は如何お過ごしですか?』とか『今日は御機嫌如何ですか?』とかの略なんですね。だから『こんにち"わ"』ではなく『こんにち"は"』となるわけです。

 『さようなら』の場合は、漢字にすると『左様なら』。これは『左様ならば、これにて失礼致します。』とか『左様ならば、また会いましょう。』とかの略です。

(もしかしたら別の説もあるかもしれません。あくまでも筆者の知っていた内容と見解だと思って頂けますと幸いです。)

 これらの挨拶に共通するのは、『厳密な意味が定められておらず、その時々によって微妙に意味が変化する事もある』という事。

 つまり、婉曲的な表現なんですね。

 

 この遠回しな感じを、『湿度あるなぁ』と自分は思っているんです。

 短くさらりと『さようなら』を言ったとしても、それに含まれている意味が『また会いたいですね』なのか、『お元気でお過ごし下さい』なのか、はたまた『もう2度と会う事はないでしょう』なのかは、時と場合により全然違う。

 言ってしまえば、『左様ならば私がどう思っているのか察して下さいね』って事です。

 めちゃくちゃ湿度感じません?私だけか?!

 しかも、我々にとっての『挨拶』でこの湿度ですから、日本語における高い湿度感は極めて『日常的なもの』だと考えられます。

 

 他にもあります。

 遡りまして平安時代、人々は和歌でやり取りをしていました。和歌なんざ婉曲表現の極みですよね。含蓄を噛み締めるしかない。

 ロマンや雰囲気をフル無視しますが、ぶっちゃけサクッと言えば良いんですよ。『あんたのこと頭おかしくなりそうなくらいに好きなんだが。いっそ死んだろか?』(物騒)みたいにさ!

 いやいや、平安時代の方々はそんな直接的な言い方はしません。ご丁寧に短くして、察して貰いに行くんですね。(決してディスってませんからね!和歌とか俳句って良いよ!自由律俳句とかも好きですし。一応保険かけときます…笑)

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば

忍ぶることの 弱りもぞする

  ー『新古今和歌集』より 式子内親王

 この短歌、全国各地の教科書に載っているんじゃないかな。めっちゃ有名ですよね。

 んで、上の短歌で式子内親王姉さんが仰りたかったのって、超ざっっっくり言うと前述した『あんたのこと頭〜中略〜死んだろか?』って事なんですよ。

(厳密には、『私の命ィ!さっさと息絶えて!!これ以上生きてると恋心を隠しておけそうにないからさ!!頼むわ!!!』みたいな感じです。式子内親王姉さんは結婚や恋愛が出来ない高貴な御身分だったので、好きな人が出来ても耐えるしかなかった故に詠まれた和歌らしい。)

 …湿度感半端なくないすか?この短さに込められた念が!ウェット!!

 

 そんなベリーウェットな日本語を、素の声質が既にベリーウェットな松村北斗が歌おうものなら。そんなん合わんわけがねぇだろ。

 違う要素(日本語と声)の同じ特徴が掛け合わさる事によって共鳴し、ウェット感とそれに伴う静的引力がより増強されるわけです。

 大変な事になりそう(勿論最高に良い意味で)だと思いませんか!!!!!!

 

 松村北斗の歌う日本語詞が爆裂に魅力的である要因の1つは、上記で述べた『声と日本語との共鳴』にあります。

 あの声質の時点で日本語との相性が最高である事が分かりきってるんです。素晴らしい。

(余談ですが、日本語にはドライな側面も勿論あります。江戸のべらんめぇ口調なんかが分かりやすい。江戸時代そのものに対して、カラリと乾いた印象をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。しかしながら、江戸時代にも湿度高めな文化はありました。近松門左衛門の有名作品である、人形浄瑠璃曽根崎心中』は正にウェット感満載です。何てったってタイトルに『心中』ですからね。カラリのカの字もございません。そもそも人形浄瑠璃は人間が人として姿を見せない『人形劇』ですから、その表現方法自体が一種の婉曲表現だと解釈する事も可能です。)

(重ねて余談になりますが、『北斗が理想のデートプランを聞かれた際に「人形浄瑠璃を観た後に心中」と答えた』という、古来より界隈では超有名爆弾エピソードとして名高いお話があります。この爆弾発言が完全に『曽根崎心中』を元にしたであろう事は、既知の件でしょう。本件がきっかけでハートを撃ち抜かれた方々も少なくないらしい。そりゃ陶酔するよね…。)

 

 

言葉との距離感

 次に、松村北斗は言葉との距離感が相当近いと思われます。

 言い換えるならば、『北斗は言葉に染められやすく、言葉も北斗に染められやすい』様に自分には見えるんですね。

 

 実際、Twitter上で、『北斗はパフォーマンス中、曲の世界で芝居している』といった旨のツイートを目にする事も少なくありません。

(NAVIGATORの時は特に頻繁に見かけた。私も同じ事を思いました。)

 

 北斗の歌は、歌詞が『北斗本人の言葉』に聴こえる事が少なくありません。

 今の所、SixTONESが出している音源の中で松村北斗作詞のものは無いです。

 つまり、それらの提供された歌詞は、北斗にとっては本来『他人の言葉』であるはずです。

 でも、何故か北斗が歌うと、他人の言葉に聴こえないんですよ。まるで彼自身から出た言葉かの様に聴こえる事が結構あります。

 それは、『歌詞が北斗に染められて、北斗も歌詞に染まっているからではなかろうか』と自分は思ってましてですね。

(光る、兆しの冒頭やCurtain Callの冒頭はこの現象が分かりやすいです。特にCurtain Callは、北斗が自分で書いたト書きを読んでいるのかと思った。間違いなくそれは『歌』なのですが、確実に歌だけの範疇ではなかったと思う。)

 

 筆者の体感なのですが、北斗のパートって、『言葉』の形で残りやすいんです。

 自分は訳あって基本的に歌詞カードを読まない様にしているのですが、聴いている最中に空で歌詞を覚えてしまう箇所は、北斗のパートである事が多い気がします。

 彼のパートは、1、2回聴いて覚えてしまっている事も少なくないんですよ。

(先述したCurtain Callの冒頭は、2020/12/06にYouTube上で行われた《SixTONES broadcaST「666 1ST liSTening」》の時点でしっかり身体に残りました。発売までの間、何度脳内再生したか分かりません。あとシンプルに曲も好き。)

 

 何はともあれ、松村北斗のパートは『歌詞』が頭や身体にものすんごい残るわけです。

 彼の歌う歌詞が、脳裏にべったりと張り付いて離れない事も多い。

 

 あくまでも推測の域を出ない話として聞いて頂きたいのですが、おそらく北斗は歌に限らず『口から発する言葉から影響を受けやすい』のではないか、と自分は考えています。

 それと同時に、『口から発する言葉へ影響を与える』力も持っていそうだ、とも思います。

 北斗と言葉とが、お互いに侵食し合っている様に見えるんですよね。

 台詞が台詞に聞こえなかったり、歌詞が歌詞に聴こえなかったりする事も多々あります。彼の口から発されると、台詞や歌詞が『本物』に寄っている様に思えるんです。『元々から北斗自身の発言ですよ』みたいに感じられる。特に日本語詞だとそんな風に聞こえがちです。不思議。

(この北斗の特徴が魅力的に大発揮されているのが《ってあなた》です。あんまりに最高。)

 

 ここまで述べてきた考察を通して、自分が行き着いたのは、『松村北斗は言葉との距離感が相当近いんだな』という結論でした。

 

 彼の歌う日本語詞が魅力的である要因の中のもう1つは、ほぼ間違いなくこの『言葉との距離感が圧倒的に近い事』だと思われます。

 その『言葉』には当然、日本語以外の言語も含まれます。故に、北斗が英語詞を歌う時にもそれは活かされているはずです。

 母国語である日本語と比べてしまうと、英語との距離感はそこまで近くはないのかもしれません。しかしながら、そもそも北斗は『言葉そのもの』や『言語』に対する感性がずば抜けている(そうじゃないと母国語とは言え北斗レベルの近い距離感ではいられない)ので、『何語であるか』はそこまでネックではないでしょう。

 北斗と英語との距離感が、日本語とそう変わらない所にまで追い付くのは、正直時間の問題だと自分は思っています。

 ここ1年間で、彼は確実に英語との距離感を縮めています。英語でインタビューされる機会もありましたし、全英詞や英詞の配分が多い曲も増えた事で、北斗の中の英語の位置付けは少なからず近い方へと変化しているはずです。

 加えて、彼が英詞を歌っている曲を聴けば、その凄まじい進化は明らかですよね。

 SixTONESの1stアルバム《1ST》は、言わずもがな曲数が多く、それ以前のシングル収録曲と比べても英詞の配分が爆増えしています。このアルバムでの北斗の歌いこなしぶりは、とにかく目を見張るものがありました。めちゃくちゃ努力したんだろうなぁ。

 

 

北斗と歌詞の親和性

 以上の2点から、松村北斗は『歌詞との親和性が高い』と考えられます。

 

 声と日本語との共鳴。

 本人と言葉との非常に近い距離感。

 

 この2点を伏せ持っているのは、かなり大きな強みです。自分自身で書いておらずとも、目の前にある歌詞と親和出来るなんて最強じゃないですか!

 

 

SixTONESにおける音楽的ポジション

 これ以降は、以上に書いてきました①と②の内容を踏まえ、それらをSixTONESというグループにどう還元するかの話をしましょう。

 

 まず、北斗はその声質で、SixTONESの歌声に文字通り『深さ』を出しています。

 低音域を担当するだけでなく、『声質の幅』としても下の成分を増強する事で、グループの声に説得力が加わり、深みが出ます。

 

 更に、松村北斗の歌声の持つ『静的引力』によって、楽曲の中に『静的引力によるハイライトやアクセント』を用意する事も出来ます。

 静かにじっとこちらを見据える様な静的引力に反応する人々は殊更、彼の歌声が確実に引っ掛かりとなるでしょう。

 北斗が冒頭やBメロ頭等の、楽曲展開切り替え地点を頻繁に任される理由はこれです。何か歌にフックが欲しい時、彼の声は重宝されているに違いありません。

 

 また、歌詞との親和性が高いメンバーがいる事によって、SixTONESの音楽には『音』に加えて『歌詞』の良さがより大きくなります。

 北斗が歌詞を魅力的に歌う事で、楽曲はより多角的に輝きます。その輝きにグッとくる人は少なくないはずです。

 

 そして何より、声を大にして言いたいのが、松村北斗は『SixTONESを日本発信のアイドルたらしめる』という大きな役割を担っているという事!!!!!!

 海外製の音楽がお好きな方は分かると思いますが、世界各国の音楽はそれぞれ違う良さがあり、中でも『その国の言語の美しさ』は、音楽を通して他国の人々に伝わる事も多いのです。

 英語がリズム感とグルーヴ感に満ちている事も、韓国語がキュートさと力強さを伏せ持つ発音を持っている事も、スペイン語が滑らかでお洒落なニュアンスである事も、中国語が子音母音共に種類に富んでおり耳心地が楽しい事も、自分は全て音楽を通して知りました。

 今後益々、SixTONESの音楽は世界中の人々の元へ届く事になります。

 その時にSixTONESの音楽を通して、彼等の持つ音楽性や楽曲の素晴らしさだけでなく、『日本語の美しさ』や『J-POPの良さ』に気が付いてくれる海外の方がいるかもしれない。

 そのスイッチを歌声で押すのが、他でもない松村北斗であると自分は考えてしまうのです。

 

 世界中であのグループは一体何者だ?!となった時、SixTONESが日本発である事を音楽で伝えるには、北斗の日本語を美しく歌える強みが活きるはず。

 自分は、そう思っています。

 

 

あとがき

 SixTONESは、世界を見据えています。

 

 日本の地を出発点にして、見据えた先へ飛び立つ時、松村北斗の存在は必ずや大きな推進力となるでしょう。

 

 SixTONESが、日本発の6人組であること。

 それを世界中に知らしめる日は、そう遠くないうちにやって来るのかもしれません。

 

 日本から羽ばたくアイドル松村北斗に、心からの敬意と感謝と愛を込めて。

 

 ここまで読んで下さった猛者にも、心より感謝申し上げます。

 

 彼と彼を大好きな人が、それぞれにとって幸せでありますように。