磨くは原石、精製は油脂

SixTONESについてのごくごく個人的な話をします。

【天才此処にあり】ジェシーの音楽的素晴らしさを語る。

 貴方は、『センター』という言葉を、どの様な意味で捉えていますか?

 

 立ち位置がいつも真ん中の人。自他共に認める高い実力のある人。世間からの認知度が最もある人。エトセトラ、エトセトラ。

 その言葉への解釈は、正に三者三様と言ったところでしょうか。アイドルグループや音楽グループにおける『センター』には、世間共通の明確な定義が存在せず、『個人の裁量に任された概念』とも考えられます。

 

 勿論、筆者の思う『センター』の概念もあるわけですが、それにぴったりと当てはまる人こそ、今回の主役であるジェシーです。

 

 『SixTONESメンバーの音楽的素晴らしさを語る』シリーズもいよいよ最終回、お付き合い頂けますと幸いです。

 

 

まえがき

保険

 本記事の内容は全て、筆者の個人的見解と考察となります。

 筆者は音楽の専門家等ではありません。ただの音楽好きで声フェチなだけの人です。

 その点、何卒ご了承下さい。

 何か間違えていましたら、(出来れば優しく)教えて頂けると助かります。どうぞ宜しくお願い致します。

 

 

本記事の【盛大な序章】について

 以前、当ブログでは【盛大な序章】と称し、『ジェシーの音楽的考察がまぁ書けん』という半ば愚痴の様な(笑)記事を上げました。

 その記事の中身は、端的に言いますと『ジェシーはどの様な天才なのか』についてを語ったものです。

 

 それについて記事を書いたのには、いくつかの理由がありました。

 

 1つは、『ジェシーについての音楽的に詳細な考察をする前にその内容を語っておきたい』という、個人的欲望があったから。

(平たく言うと、『ただ書きたかったから』ってことですね。他の記事も基本的には、ただ書きたいから書いています。そんなもんです。笑)

 

 そしてもう1つ。

 それは、『ジェシーは天才だ』と常々思っている者として、自分が思うその『天才』とは『どの様な類の天才なのか』を明確にしておく必要があると思ったからです。

 

 自分は、『天才』にも様々な種類の天才があると考えています。

 正直、SixTONESのメンバーは、全員が漏れなく天才です。

 更に、話の範囲を広げると、自分は『この世にいる全員が天才だ』とも思っています。

(『何処までが才能で何処からが才能と呼べないのか』の判断基準は、人によって違うし、完全に一致するものではないと思うので。)

(例えば、アウトドア嗜好の方からすると、ずっと家で過ごす事を喜ばしく思える人達(←私は完全にこれ)は天才に見えるかもしれない。逆にインドア嗜好の方(私も含む)からすれば、休日の度に何処かしら外へ出かける人達は天才に見えるでしょう。少なくとも私から見れば、アウトドア嗜好は才能です。マジで。家 is Heaven.)

 

 自分は『ジェシーは天才だ!』という件を語り散らかしたいと考えています。

(厳密に言うと、『自分の言語操作の程度では、ジェシーを"天才"としか形容出来ない』状態といった所でしょうか。何はともあれ自分の場合、彼について語るにあたっては『天才』という語彙を使わざるを得ないんですね。)

 だからこそ、数多ある『天才』の中でも『彼がどの類の天才なのか』に関する自分のスタンスを、イメージだけでも示しておく必要があると思ったのです。

 そのスタンスを明記する事で、一度『筆者の考えるジェシーの音楽的素晴らしさ像』の大枠を感じて頂きたかった。その後に、より詳細なジェシーの音楽的素晴らしさを語った方が、より楽しく分かりやすいかもしれんな、と。

 

 …とそんなわけで、上記のスタンスを明記した(つもりの)記事をこちらに貼っておきます。ご興味あれば是非。↓

shea-butter-six.hatenablog.com

 

 

ジェシーの音楽的素晴らしさを語る

 さて、長らくお待たせしてしまいましたね。本題へと参りましょう。

 ジェシーの音楽的素晴らしさは、大きく分けて以下の3つであると考えています。

 

 ①声そのもの(特に声の自我の薄さ)

 

 ②センスが天才

 

 ③SixTONESにおける音楽的ポジション

 

 順に解説(という名の考察)していきます。

 

 

①声そのもの(特に声の自我の薄さ)

 ジェシーの歌声で最も特徴的なのは、『自我の薄さ』であると自分は考えています。

 この『自我が薄い』とは、決して『個性が薄い』という意味合いではありません。もう少し噛み砕いて言うならば、『良い意味で本人の自意識が薄いが故に、歌が音楽として独立している』といった感覚です。

 

 ジェシーが普段喋っているときの声は、基本的に温度感がぽかぽかと温かくて、質感はふかふかしており柔らかく、ほっとするような心地良さを感じさせます。

 例えるなら、春の晴れている昼下がりでしょうか。麗らかな声なんですよね。

 

 その一方で、歌い出すと彼の声は一変する事が多々あります。曲によって声の季節感・色・性格が目まぐるしく変化し、声だけを聴くと別人の様にも思えるのです。

(少クラのソロコーナーで歌っている時のジェシーは、明らかにSixTONESにいる時のジェシーとは別人でこれまた驚きました。)

(ジェシーの歌声人格の変化は、NAVIGATORとNEW ERAを聴き比べると特に分かりやすいです。個人的にこの2曲は、楽曲の人格が『線対称』だと感じているので、よりそう思うのかもしれません。)

(余談ですが、自分は音楽に限らず『作品』と呼ばれるものは、それぞれ特有の人格を持っていると考えています。人ではないので『人格』という表現は正しくはないのでしょうが、作品も人間と同じく相手によって変わるものですし、あながち遠くないのでは?と思ったり。ちなみに自分は各種作品の好みにおいて、作品の人格が結構大きな比重を占めている気がします。)

 そして面白い事に、曲によって歌声は別人になるにも関わらず、それら全ての声が『これはジェシーだな』と感じさせるんですよ。これがとにかく凄い。

 その要因の1つは、ジェシーの声に『慈悲』が常に含まれている事であると考えています。

 ひたすらに素直で、私利私欲を一切感じさせないんですね。『ああ、この子は本当に音楽好きなんだろうな。』と。その素直さから生まれる慈悲が、彼の声には常在しています。

 これこそが、ジェシーの歌声における『自我の薄さ』の理由です。

 欲望的な自意識が極めて少ない、でも慈悲深い。故に『自我が薄い』と感じるのではなかろうか、と自分は考えています。

 先程『ジェシーの素の声は春の晴れている昼下がりだ』と言いました。同様にして彼の歌声を例えるならば、その歌声は『空』です。

 基本的に予想がつかない、何が本当のニュートラルなのかも分からない。でも、その歌声の源がジェシーである事はいつも分かっている。

 したがって、ジェシーの歌声は空だな、と。

(余談ですが、この『自我が無いが慈悲はある』歌声と言えばカーペンターズです。カーペンターズは名曲を数多生み出したデュオで、自分が思うにそれらの音楽は文字通り『誰が聴いても良いと感じる』ものだと思います。発音がクリーンなので『英語のリスニングの点数を上げたいならカーペンターズを聴くと良い』と塾の先生に言われた事もあるくらい、とにかく聴きやすい。本当に名曲まみれなのでとりあえず聴いてみて欲しい。自分は『星空に愛を』が好き。宇宙人が出てきて楽しい!)

 

 彼の持つ『歌声の自我が薄い』という特徴は、演者として大きな武器になります。

 歌声の性格をガラリと変えられる能力が、音楽表現を行う上で役に立つ事は言わずと知れているでしょう。(無論皆に知れているからと言って、誰にでも出来る事ではありません。凄い。)

 

 大空を携えたジェシー、強し!

 

 

②センスが天才

 先に結論を言ってしまいますが、ジェシーは音楽的なセンスが天才です。

 

 まずは、『音符に対するセンス』と『歌詞に対するセンス』についての2項目に大きく分けてそれぞれ説明していきます。

 

音符に対するセンス

 『音符に対するセンス』とは、言い換えると『音楽における楽譜(歌詞以外の部分)をどう歌うかのセンス』のことです。

(例えば童謡チューリップの場合、『咲いた咲いた』につけられたメロディーである『ドレミドレミ』をどう歌いこなすか?という話です。頼む伝わってくれ頼む!!)

 

 ジェシーの持つ音符へのセンスが最も分かりやすいのは、音楽番組やライブで度々披露されるフェイクやアレンジであると考えます。

 『フェイク・アレンジ』とは、簡単に言うと歌における『自由演技』の様なものです。それらには歌い手の持つセンスや音楽的ルーツ等が如実に現れやすいので、心を大きく揺さぶられる方も多いでしょう。

(例に漏れず自分はフェイクやアレンジを聴くのが大好きです。ライブだとその時だけのフェイクが聴ける事が多いからやっぱライブは良い。)

(余談ですが、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で更に有名になったシーンである、Queenのボーカル フレディ・マーキュリーのコール&レスポンス(エーオ!のやつ)は、一種のフェイクとも捉えられます。音楽がコミュニケーションを伴っている事がよく分かる名シーンであり名フェイクです。鳥肌立ちます。)

 

 ジェシーはソロパートをアレンジする事が多く、ライブは言わずもがな、音楽番組でのパフォーマンスでも(勿論相当良い意味で)ほぼ毎回違う歌い方をする印象があります。

(NEW ERAの冒頭とかこの星のHIKARIとかは特に分かりやすいです。本当に毎回違う。)

 おそらく、その場のノリやフィーリングから生まれたフェイクやアレンジも多々あるでしょう。しかも、ノリやフィーリングの拾い方が余りに素晴らしい、即ちセンスがとてつもなく良いので、観客は不意打ちでそれを喰らう他無いわけです。ジェシーのパフォーマンスが持つ衝撃波の要因の1つはこれにあります。

 実際、そんな彼によるアレンジが『定番化』したと言っても良い様な曲もありますよね。

(RAM-PAM-PAMのAメロジェシーパート『Go with the flow Oh...』の最後の部分をがなりつつ音程を潰し気味にして下に落とす様にする歌い方は、彼のアレンジから始まり今や定番化したと言っても良いのではないでしょうか。元々はきちんと音程があるクリアな状態で歌っていたのですが、Love musicのパフォーマンス辺りから今の歌い方が定番化したと自分は認識しています。今さっきアルバムの収録音源を確認したのですが、そちらでは音をちょい潰しつつ音程は残して歌ってますね〜塩梅が上手い〜ちゃんと収録音源仕様だ〜!これがセンスよ…!)

 

 更に、ジェシーは担当パート以外でも底無しのセンスを発揮します。

 他のメンバーが歌うパートの際に見せる動きや合いの手やフリーダンスのパート等、ふとした時に彼から発される音楽は間違いなく『センス溢れる』ものです。

 生配信ライブ『on eST』でのEXTRA VIPの合いの手なんかエグかったです。センス大爆発!

 別記事でEXTRA VIPのパフォーマンスについて下記の様に書いたのですが、まあとにかく凄かった。

そんでジェシー、音楽的バランス感覚の良さが素晴らしい。ちゃんと聴かせる為に歌う所と、テンション感を伝える為に音程を無視してニュアンスを出す(がなる)所と、樹のラップへの合いの手の入れ方との配分が抜群に上手い。これは昼公演でも思ったことです。 この匙加減ってきっと相当難しくて、やらないと物足りないし、やり過ぎるとクドくなるんですよ。でもベストな配合でやると、曲がより強く輝く。

【世界を見据える六人衆】SixTONESの生配信ライブon eSTについて好き放題語る。 - 磨くは原石、精製は油脂

 

 複数の音楽番組でパフォーマンスしている曲であれば各パフォーマンスを聴き比べる事が可能なので、正直どの曲でも彼のセンスが分かりやすいと思います。音源と聴き比べるのも楽しいです。お時間ある方は是非!

 

 

歌詞に対するセンス

  突然なんですが、ジェシーって歌詞の捉え方がかなり『オリジナル』だなと自分は思っていましてですね。

 簡単に言うと、『究極にピュアな感性のまま、本能的に時と場合に応じて歌詞に対するアプローチを180°変えている』様に見えるんです。

 本項は今回1番語りたかった所と言っても過言ではありません。先に言っておきますが、多分めちゃくちゃ長くなります。笑

 

 さて、具体的にどういうことかを説明する前に、まずは前提として必要な『言葉・言語』についてお話しさせて下さい。

 そもそも『言葉』や『言語』には、大きく2つの要素が併存しています。

 1つは、『何かしらの内容を伝える為の記号や信号』という要素。言葉や言語の主要機能は間違いなくこれです。現に自分も『日本語』という名の言語を記号として羅列する事で、己の見解を完全ではなくとも貴方に伝える事が出来ています。声を使って話す場合はその伝達形式が音声信号に変わり、同様の機能を果たすわけです。

 もう1つは、『意味を持たない形や音』としての要素です。現在、本記事は大変光栄なことに貴方が『日本語の文字列という名の記号を読み取って』内容を理解して下さっています。しかし、貴方がその記号読解を辞めた途端、この記事はただの『黒い線で描かれている小さい図形が並んだ画面』になります。声を使う場合も同様に、伝達信号の受信と読み取りが行われなければただの『音』でしかありません。

 もう少し分かりやすくする為に、1つ例を挙げますね。(貴方が日本語を主にお使いになる事を想定しています。)

 例えばの話、私が貴方に『彼女は君を愛している。』とLINEしたとします。このLINEを受信且つ理解する事で、きっと貴方は『ああ、彼女はオイラのことを愛しているのか。』と思うでしょう。

 では、『She loves you.』ならばどうでしょう。同様に貴方がこのLINEを受信し理解出来たら、私の言いたい事は伝わった事になります。

 ではでは、『她爱你』『Lei ti ama.』『Ella te ama.』『إنها تحبك.』ならどうでしょうか。

 もしかすると貴方が語学堪能な方かもしれないので一概には言えませんが、上記の文字列を理解出来なくなった時、それは貴方にとって意味を持たない図形に見え始めたはずです。

 これは声を使う場合も同様で、『カノジョハキミヲアイシテイル』と言われれば意味を持っていた音声信号も、『レイティアマ』と言われた途端に、人によっては『れいてぃあま』という『音』になってしまうことがあるんですね。信号の持つ意味は全く同じなのに。

(余談ですが、上述の様な内容の『言語』をテーマにした論述文が高校の現代文の教科書に使われていた記憶があります。その論述文で『言語とは記号なり』的な事を言っていて、結構好きだなぁと思った上にガッツリ影響も受けてますね〜今思えば。あとは『日本語ではお湯と水は分けるが、英語ではどちらもwaterである』的な内容もあったような…?もしかしたらそれぞれ別の論述文かもしれない。高校の勉強に対しては無気力だったけれど、これらの内容はどちらもなんか好きで覚えている。)

 

 随分長々と喋りましたが、要するに言語や言葉は『意味を伝える記号や信号』と『形や音』との2大要素を含んでいるっちゅう事を前提として用意しておきたかったのです。

 

 では、話を戻します。

 ジェシーの歌詞に対するアプローチについてなのですが、大きく分けて、彼は『歌詞の意味を追う』場合と『歌詞の"音"を追う』場合との2パターンを持っていると考えられます。

 

 まず、『歌詞の意味を追う』場合。

 このパターンを使っている時のジェシーは、歌詞をそのまんま素直に取り込んで歌っている様に見える事が多いと思います。(あまり歌詞の裏をかきに行かないイメージがある。)

 つまり、このアプローチを使っている時のジェシーは、歌詞を言わば『音声伝達信号としての機能に振り切った』様な状態で歌っていると考えられます。振り切っていないにしても、ほぼ間違いなく伝達信号としての側面を重視して歌っていそうなんですね。

 バラードやスローテンポの曲、歌詞が強い曲等はこちらの場合が多い印象です。こちらは結構分かりやすいんじゃないでしょうか。

(ST・僕僕・光る、兆し等はほぼこちら側だと思われます。多分Life timeもこっち。)

 

 一方、『歌詞の音を追う』場合。

 音源化されている曲で1番分かりやすいのは『Bella』でしょう。そもそもこの曲自体が『スピリッツ並みに強い歌詞を限りなく音側に振って歌う』という(SixTONESの試みでもあると自分は認識している)曲でもありますし、言わずもがなジェシーの持つこの能力が遺憾無く発揮されています。

 このアプローチで彼が歌う時は、歌詞が『意味を持つ言葉』というよりも、かなり『音』に寄っています。

(他にもDance All Night、Telephone、RAM-PAM-PAM等はこちら側でしょう。個人的にはうやむやもこっちだと思っている。)

…と上記の様な内容を、『究極にピュアな感性のまま、本能的に時と場合に応じて歌詞に対するアプローチを180°変えている』と本項冒頭で自分は言っていたわけです。

 

 これらの内容でも充分凄いのは分かって頂けたと思いますが、大変恐ろしい事に、ジェシーはこれだけで終わりません。

 彼は、真逆とも思えるこれらの2つのアプローチを、同じ曲中で両方使う事が多々あるんですね!(しかも、おそらく本人はそれが気持ち良いからそう歌っている感じなのが恐ろしい。これまたかなり本能的にやっていそうなのです。)

 自分がこの二刀流を喰らって痺れた曲の1つが、S.I.Xです。これがヤバいんじゃ。

 あの曲の冒頭のジェシーさん、歌と台詞を足して2で割ったみたいに歌うんですね。『めっちゃグルーヴ感ある喋り』みたいな感じで。歌っているのに喋ってるの?!ってなる。ここでのジェシーは明らかに『歌詞の意味』を追っている様に思えます。

 んで、いざ曲が始まるとめっちゃ『音』に振ってるんですよ。ニュアンスもゴリゴリつけていく。かっは!んなもん耳が楽しいに決まっとるがな!!

 そしていよいよヤバいのがアウトロ。『曲中ほど音には振ってないけど、冒頭よりは音に振ってる』くらいの絶妙な配分で歌っています。余韻を作りつつちゃんと終わりに行ってるんです。是非イントロとアウトロを聴き比べてみて欲しい。天才がいます。采配が天才。

 

 

ジェシーの天才たる所以

 以上の記述から、ジェシーが如何にセンス溢れる人であるかはお分かり頂けたでしょう。

 

 ここで自分が大声で叫びたいのが、ジェシーの持つセンスだけが彼を天才たらしめる要因ではないぞ!』ということ。

 無論、彼の音楽的センスは素晴らしいものです。しかし、厳密に言うと、彼の本当の凄さはそこではありません。

 ジェシーのとんでもない真の凄さは、その素晴らしい音楽的センスを『表現(具現化)出来る』点にあります。

 当たり前の様に彼はセンスの良さを聴衆の前で発揮していますが、そもそも自らのセンスをステージ上で発揮するには、それを分からせるだけの技術が必要なのです。

 加えて、ジェシーの持つ高いセンスを伴った彼自身のイメージ通りに、毎回カッコ良くパフォーマンスする事がどれだけ難しいか。

(イメージした事がそのまま実行出来るなら誰も苦労しません。どんなに素晴らしいイメージを鮮明に思い描けたとしても、それを具現化して人に伝えられるかはまた別の話ですよね。)

 それを考えれば、彼が凄まじい努力をしているであろう事は容易に想像出来ます。

 

 こちらの予想の範囲を外れた驚きと衝撃を連続して生み出し、予測不可能な素晴らしき現象が多発させるジェシー

 それらを支えているのは彼の音楽的センスのみならず、他でもないそのイメージを具現化する能力なのです。

 

 

SixTONESにおける音楽的ポジション

 これ以降は、上記の①と②の内容を踏まえ、それらをSixTONESというグループに還元する際の話をしていきましょう。

 

 まず、声の自我が薄い事によって、ジェシーの声は文字通りどんな人格にでもなれます。

 即ち声のキャラクターが変えられるわけですから、その特性上『楽曲のキャラクター(人格)提示』をするのに相当向いているのです。

 実際、ジェシーは何かと曲頭一声目を任される事が多く、SixTONESの楽曲における『つかみ』担当になりがちなのもそれを考えれば大いに頷けます。

 その上、表題曲やリード曲の一声目を任されがちなのも、その時々に応じた『SixTONESのスタンス』をジェシーが提示していると考えれば、より一層納得がいきますよね。

 彼が『Imitation Rain...』と言えばそこには雨が降るし、『...PITCHED UP』と言えば暗闇になるし、『Yeah!!!!!!』とロングシャウトすればたちまち風が吹いて狼煙が上がるのです。

(そしてMr.ズドンが自己紹介をすれば、そこはみんなでズドンズドンする場所になる。)

 彼の声に誘導されれば、後はSixTONESの音楽に浸かるだけ。

 我々は自分達で思っている以上に、ジェシーの一声で曲の世界に連れて行かれているのだと思います。

 

 更に、ジェシーの音楽性は、SixTONESの音楽やパフォーマンスにおける『ライブ感』を増強します。

 その場で生み出される彼のハイセンスなパフォーマンスがある事で、次は何が起きるのか?というワクワク感や冒険の色がプラスされ、SixTONESの音楽やパフォーマンスはライブ感がより一層増すのです。

 生放送じゃない収録の音楽番組でも、毎回ドキドキしつつ楽しめて、どの曲も毎回違って毎回最高、毎回湧ける。

 この現象には、ジェシーが一役買っているのだと自分は確信しています。

 

 やや本題から逸れつつ、あくまでも推測の域を出ない話として聞いて頂きたいのですが、おそらくジェシーは『音楽』というものをかなり本質的に理解している様に思えるんですよ。

 提示された楽譜や歌詞は歌い手の解釈や感性によって全く違うものになる事や、お手本通りにやるのが全てではない事、音楽とは元来自由に楽しむものである事。これら以外にも、筆者の様な素人には想像すらし得ない『音楽』という存在についての本質を、彼はしっかりと掴んでいそうな気がします。

 

 ジェシーの存在が、聴衆にとってだけでなくSixTONESにとっても『SixTONESの音楽』を楽しいものにしている事は間違いありません。

 

 なんて頼もしい。

 

 彼の音楽性は間違いなく、これまでもこれからもSixTONESにとって欠かせない!

 自分はそう思っています。

 

 

あとがき

 SixTONESのメンバーのうち5人は、口を揃えて言います。

 

 『うちのセンターはジェシーです。』と。

 

 自分は、これこそが『センター』の概念であると考えます。

 1番近くにいる仲間から、『お前が真ん中に居て欲しい』と心から言われる存在こそ、真のセンターなのだと思うのです。

 きっとそれは立ち位置なんて言ってしまえばそんなに関係無くて、明確な指標があるわけでもなくて、もっと概念的で抽象的で優しい仲間内の呼称なのです。きっとそうです。

 

 だから、皆で支えたくなるのでしょう。

 

 どうか、彼が仲間と共に6人で進みたい道のど真ん中を歩ける日々であって欲しい。

 そう心から願っています。

 

 team SixTONESのセンターであり道標のジェシーに、心からの敬意と感謝と愛を込めて。

 

 ここまで読んで下さった猛者にも、心より感謝申し上げます。

 

 彼と、彼を大好きな人が、それぞれにとって幸せでありますように。