磨くは原石、精製は油脂

SixTONESについてのごくごく個人的な話をします。

RosyのMVを観て己のルーツを思い知った。

 昨晩、RosyのMVが公開された。

 

 とんでもないものだった。

 

 驚いた。呆然とした。

 

 自分は今でも、身体に上手く力を入れられないでいる。

 

 まず、目撃した事実を述べておこう。

 プレミア公開直前のカウントダウンは、正体不明の超カッコいいアニメーションによって行われた。この映像は、プレミア公開が終わると共に何処かへ消え去った。

 RosyのMVには、多くの高い技術と才能と素晴らしい仕事が結集していた。一度でも観れば明白に分かった事だ。

 

 これらの事実を目の前に列挙され、自分はしばらく動けなくなった。

 直後、それらの事実と、己の目に飛び込んで来た真実を確認すべく、もう一度同じ動画を再生した。

 

 2回続けて視聴した時点で認識出来ていたのは、前述の事実と、自分が今作を確かに良いと思っている、ということだけだった。

 

 推しの解禁事があれば、それについてツイートをする。何かしらのファンやオタクにとって、これはよくある事だと思う。

 例に漏れず、自分もそこそこの数のツイートをしたが、そのどれもがふんわりとしていて、同じく自分自身も異様にふんわりとしていた。

 

 明らかに素晴らしいMVだ。

 しかし、それしか出てこないのである。

 

 濃く押し寄せる余韻と共に、茫然自失の時間をしばらく過ごした。

 このMVを腹の底から良いと思っている事は間違いないはずで、良いと思った点も羅列出来そうなはずなのに、どうもそれらが自分の操作可能範囲から随分はみ出ているらしいのだ。

 さっきから自分が何を捉え考えていて、具体的にどの要素から心動かされたのかがよく分からない。

 何と言うか、あのMVから与えられた感覚や影響の規模と範囲が大きい故に、それらを上手く素早くスムーズに消化出来ないのである。

 

 この感覚を受けて、自分は混乱した。

 何を感じるべきで、何を考えるべきで、何を言うべきか全く分からない。

 ただひたすら、RosyのMVを繰り返し観るしか出来なかった。

 

 すると、不意に別の方向から、とある記憶が転がり込んできた。

 それは、自分が初めてJAPONICA STYLEのMVを観た時の感覚である。

 急に右斜め上からごろんと赤いりんごを握らされた様に昔の感覚が突然蘇ったので、自分で思い出しておきながら、その記憶にもそれを思い出した事にも驚いてしまった。

 

 同時に、ふと気が付いたのである。

 『さっきRosyのMVを観た時の感覚と、初めてJAPONICA STYLEのMVを観た時の感覚が酷似している』、と。

 

(※間違っても、『JAPONICA STYLEとRosyのMVが似ているから同様の感覚にさいなまれた』わけではない。そもそもこの2作は似ていないので言うまでもないだろうが、『全く別の作品から例の感覚を受けた』という事が個人的に重要なのである。)

 

 この感覚と現象こそ、己がSixTONESファンとなった最大要因であり、SixTONESファンとしてのルーツなのだと思う。

 

 以前当ブログにて上げた、自分がどの様にしてSixTONESファンとなったかについて書いた記事(所謂沼落ちブログ)にも書いた通り、自分が彼等のファンとなった際の大きなきっかけはJAPONICA STYLEのMVである。

 

↓その記事(沼落ちブログ)↓

shea-butter-six.hatenablog.com

 

 

 RosyのMVをひとしきり浴びた状態でJAPONICA STYLEのMVを観てみると、さっきまで空中に漂っていた感覚が妙に腑に落ちた。

 

 彼等にあの感覚と現象を誘発された事こそが、全ての始まりだったのだろう。

 

 あの時と極めて近い感覚をまた味わう事になろうとは、夢にも思わなかった。

 

 自分からしてみれば、紛う事なき唯一無二であるはずの衝撃を、全く同じ存在から、全く同じ形態で、2度も喰らったのである。

 

 相当凄まじい経験だ。

 一体自分は、彼等からどれほどのものを与えられているのだろうか?

 

 もっと言うと、何故自分が『SixTONESのコンテンツユーザー』ではなく『SixTONESのファン』であるかについても、ここが大きく影響しているのだろうと思われる。

 

 RosyのMVを観た事により、己のSixTONESファンとしてのルーツを思い知った。

 

 結局、あの衝撃から何を感じるべきで、何を考えるべきで、何を言うべきなのかは未だに分かっていない。多分、この先も分からないままだろう。

 だが、自分はそれで良いと思っている。

 彼等からの衝撃によって、未知の感覚と現象を体験出来た。

 それで充分なのだ。