磨くは原石、精製は油脂

SixTONESについてのごくごく個人的な話をします。

【盛大な序章】ジェシーについての音楽的考察が書きにくい件を語る。

 

 いやぁ…参りました…参っております…。

 

 ジェシーの音楽的考察が全っっ然書けん!

 

 本当にびっくりするくらい書けん。

 と言うか、めちゃくちゃ書きにくい。

 

 今回は、『ジェシーについての音楽的考察が書きにくい件』について語りに来ました。

 まあちょっと騙されたと思って、是非お付き合い下さい。

 

 

まえがき

 まず最初に大声で言っておきたいのですが、この記事は『ジェシーを遠慮無く褒めちぎる』意図の記事です。

 当ブログでは毎度お馴染みである、そこそこボリューミーな筆者個人の見解と考察を通して、いつも通りにSixTONESメンバーを腹の底から大絶賛しようという企みでございます。

(と、それに乗じて筆者が喋りたい事も沢山喋っています。先に言っときます。今回はいつもに増して余談がめちゃくちゃ多いです。笑)

 一見タイトルが不穏な様にも思えますが、間違っても彼を貶す様な内容の記事ではありませんので、どうぞご安心下さい。

 

 現在、当ブログ『磨くは原石、精製は油脂』では、SixTONESメンバーの音楽的素晴らしさを1人ずつたんまり語り散らかす記事がシリーズ化しています。

 こーち、樹、慎太郎、きょも、北斗の5人は既にその記事を上げており、残す所あとジェシーのみとなりました。

 本記事は『音楽的素晴らしさを語るシリーズのジェシー回』に入る前の『盛大な序章』として書いていますので、その様なつもりで読んで頂けると良いかと存じます。

 これを読んで頂いた後に、本題のジェシー回を読んで頂くとより楽しめるかもしれません。

(そうなる様に本題の記事も書くつもりです。)

 

ジェシーの音楽的素晴らしさを語った、本題の記事はこちら↓  ご興味あれば是非。

shea-butter-six.hatenablog.com

 

 

 尚、これ以降の内容は、完全なる筆者の個人的主観に基づいた考察となります。

 自分は、音楽の専門家ではありません。

 早い話が、ただの音楽好きで声フェチの人間なのです。

 その点、何卒ご了承下さい。

 何か間違えていましたら、(出来れば優しく)教えて頂けると助かります。どうぞ宜しくお願い致します。

 

何故ジェシーの音楽的考察が書きにくい?

ジェシー編を書こうとしている筆者の現状

 書きにくいと喚いてばかりではしょうがありませんから、『具体的にどのくらい書けていないのか』をお伝えしますね。

 

 その時々の気分にもよりますが、基本的に自分は記事を本格的に書き始める前に、ザーッとメモみたいなものを下書きする事が多いです。(厳密には言いたい事を一旦そのまま吐き出している感じで、言葉遣いや日本語としての正しさを完全無視した感じの下書きです。叩き案って言った方が分かりやすいかもしれん。)

 下書き時点での文字数は、大抵800〜1000字くらいになります。下書きありで書く時はいつもこんな感じで、それをあーだこーだやると、毎度お馴染みのあれになるわけです。

 そんじゃあ、例のジェシー記事の下書きはどうなってるんだ?って話なんですけども。

 驚くなかれ…現在下書きは、132字!!!!!!

 

 え?!?!書けてなさ過ぎん?!!??

 ってなわけで、そんな筆者の困った状況(という形で姿を現したジェシーの凄さ)について是非お聞き願いたいのです。さあ参りましょう!

 

 

ジェシーの音楽的考察が難しい理由

 何故ジェシーは考察が書きにくいのか?

 それは、『ジェシーが音楽的に考察しにくい人種だから』です。

 

 いやいやいやいや『人種』て!そんなん全然理由になっとらんわい!!

 

 仰る通り、貴方の仰る通りです。

 その『人種』とは何なのかについてを、次の項でがっつり詳しく説明します。

 

 

③音楽的に考察しにくい『天才』の話

 そもそも、SixTONES云々に関係なく、自分にとって『音楽的に考察しにくい』方々が、この世には一定数いらっしゃいます。

 もう少し言うと、音楽的に考察して欲しい!と言われた時に、『むむむ出来ればこの人は勘弁してくれぇ、考察したくないし、上手く出来る自信も無いよぅ…。』と自分は思ってしまう方々です。

 

 その方々は一体どんな人達なのか。

 思うに、その人達が共通しているのは『音楽の神様に著しく愛されている』ことです。

 『神様コーポレーション芸術部音楽課とのコネクトが異常に強い』とも言えるでしょう。

(この際、『神は存在するのかどうか』についてはシカトします。今回は『神はいる前提』が無いと話が進まないので笑、各々の考え方もあるでしょうが、細かい所は見逃して下さい…!あくまでもイメージの話なのでね!ぶっちゃけ私もこの問題の正解は分からん!しゃあなし!)

 

 一口に『音楽の神様から著しく愛されている』と言っても、その愛の形は様々であると自分は考えています。

 

 いつくか例を挙げてみましょうかね。多分その方が分かりやすいと思うので。

 

 まずは、音楽の神様から『寵愛』されている様に見える方々。

 DREAMS COME TRUE吉田美和さん、KinKi Kids堂本剛くんの御二方は、完全にこのタイプだと自分は認識しています。

(以前観た関ジャムのドリカム特集でも、中村正人さんが『吉田には音楽の神様がいるみたい』的なことを仰っていました。中村さん曰く、吉田さんは曲と歌詞が一緒に降りてくるそう。実際ドリカムには数多の名曲がありますし、神とのコネクトも強いイメージが湧きます。)

(余談ですが、堂本剛くんのバンドENDRECHERIが相当気になっています。元々ブラックミュージックやその系譜を取り入れた音楽は物心ついた時からずっと好きなので、これは好きなやつやん!と思っている。音源買おうかな。)

(更に余談ですが、KinKi Kidsの『KANZAI BOYA』がはちゃめちゃに好きです。この曲についてブログ1本余裕で書けるくらい大好き。テレビでパフォーマンスされているのを観て『!』となり、すぐに初回盤Aと通常盤をポチりました。KinKi Kidsは悲しく美しいメロディアスな曲をやる印象が強かったのですが、まさかのファンク!テレビでも生バンド!衣装可愛い!と大興奮した思い出。MVも、おまけ映像の光一くんのダンスも、各Remixも全部最高でアガる。後から知ったのですが、剛くんの音楽ルーツはファンクらしい。しかもバンドやってんのか!最高かよ!…となり、今に至ります。)

 

 次に、『音楽の神様が囲いたがっているのを上手くはぐらかしつつ、結局しっかり愛されている』様に見える方々。

 このタイプだと思われるのが、TOKIO長瀬智也さんです。

 長瀬さんは、音楽の神様が寵愛したがっているのだけれども、それにはなびかないイメージがあります。神様が自分に惚れているのをちゃんと知った上で動いている感じ。『神様をちゃんと惚れさせておくけど、四六時中構う訳じゃない。俺は好きにするよ。』、みたいな。

 『さすらいの旅人』っぽいんですよね。ヒッピーとか、旅芸人とか、移動式遊園地とかに近い感覚があります。

 多分、長瀬さんの場合、音楽の神様と会う事になっても、その待ち合わせ場所に普段着(と言うかその時に着たい好きな服)で行きそうな気がします。特別に正装はしないと思う。

(余談ですが、自分はTOKIOの楽曲では『リリック』『東京ドライブ』『雨傘』の3曲が大好きです。あと、長瀬さんが神木隆之介さんとW主演をされていた映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』はマジ最高。Amazon prime videoで何の気無しにこれを観た自分を褒めてやりたい。劇中歌が全部良いんだこれがまた。)

 

 更に、音楽の神様から『友情』として愛されていそうな方もいらっしゃいます。

 このパターンの方だと自分が考えているのが、玉置浩二さん。

(2020年末の紅白での『田園』、凄かった…!)

 絶対に音楽の神様とのコネクトがしっかりある族の方だと思うのですが、どうもこの方の場合は、寵愛と言うより友情に近い気がするんですよ。音楽の神様の親友みたいな感じで。

 神様と限りなく対等な関係に近いのでは?と思っています。愛とか恋よりドライだけど、それよりもっと近くガッチリと強固な繋がり。

 玉置さんって、神様と何回か飲みに行った事がありそうです。それも、暖簾のある店で。

(自分は玉置浩二さんや安全地帯に詳しくはありませんが、それでもテレビで見かけたり、ちょこちょこ音源を聴いたりして、前述の様なイメージが湧きました。ベタだけど、井上陽水さんと一緒に歌われている『夏の終わりのハーモニー』が好き。言わずと知れた名曲ですよね。)

 

 …っと、例としてはこんなものでしょうか。

 イメージ伝わりましたかね…?

(勿論、他にも音楽の神様から著しく愛されていそうな方々は沢山いらっしゃいます。自分が思う分かりやすい例として、今回は上記の方々を挙げさせて頂きました。)

 

 この類の方々は、巷では大抵、『天才』と呼ばれています。

 『天からの才能』故に『天才』ですから、そう呼ばれるのも必然なのかもしれません。

(ここで勘違いしてはいけないのが、『天才』と呼ばれる方々は皆往々にして凄まじい努力をされているということ。この『天才の努力』については、後の方でしっかりと言及します。)

 

 そんで、SixTONESジェシーも同様に、この手の人種、即ち『音楽の神様から著しく愛されている』タイプの『天才』である、と自分は考えているのです。

 

 

④何故『天才』は考察しにくいのか

 では、何故に『天才』についての考察はやりにくいのでしょうか?

 

 そもそも『考察』という作業を行う為には、対象となる人やものについて『自分流の分析』や『自分の持つ知識への置き換え』等の方法を使って、一度その対象を噛み砕き、飲み込む必要があります。

(少なくとも自分はその段階を必ず踏みます。)

 しかし、天才達の所業は、凡人にとって『噛み砕き飲み込む』のが非常に難しい。

 この人のやっている事が素晴らしく、この人自身が凄い事も痛いほど分かる。でも、その素晴らしさや凄さの実体が掴み辛く、仮に掴めたとしてもそれをどう扱って良いのか分からないのです。

 何処から手をつけ、何処が毒で、何処から口に含み、どのくらい噛めば噛み砕けるのか、そしてそれは飲み込めるものなのか。これらに関してほぼ見当がつかないんですね。

 魚のフグと似ています。特別な訓練をした人にしか、多くの人々にその身(天才の所業)を安全に食べさせる事は出来ないわけです。

(余談ですが、自分は、この『フグを捌ける人』の存在こそ天才を世に放つ鍵なのだと思っています。音楽に限らず、大抵の天才には相方の様な存在がいて、その相方が天才の所業を世に届けるべく奔走している事が多い気がします。そうやって天才の所業を世に伝える『フグを捌く人』もまた、別の意味での天才なのでしょう。)

 

 世に言われる『天才の考えを凡人は理解出来ぬ論』の肝はここにある、と自分は考えます。

 

 まぁこれらの事を考えりゃ言わずもがな、素人には考察しにくいに決まっていますよね…。

(てことはつまり、私って今とんでもない事に手を出そうとしてますよね?やばいなこれ。)

 

 

ジェシーはどんな『天才』なのか

 さて、今回の主役であるジェシーは、一体どんな『天才』なのか。

 上で述べた『音楽の神様からの愛され方』を使って説明しましょう。

 

 ジェシーの場合は、『音楽の神様から寵愛されている』タイプだと考えています。(奇しくも堂本剛くんと同じですね!)

 彼は、その愛をしっかりと謙虚に受け止め続けている様に見えます。その佇まいから、彼と神様との間に、親しきながらもきちんとした礼儀と上下関係が存在する様に思えるのです。

 更に、音楽の神様は昔から(もしかするとジェシーが生まれた時から)、彼のことを相当可愛がっていると思います。あくまでも自分の勝手なイメージに過ぎませんが…。

 故に、ジェシーは音楽の神様から『寵愛』されているだろうな、感じるわけです。

 

 ジェシーは歌っている時、どこまでを意図的にやっていて、どこから感覚的にやっているのか、こちら側からは全く見えません。少なくとも自分は今後も一生分からないと思う。

 勿論、全てが勘じゃないだろうけど、『これは常人には出来ないよ?!(褒めてる)』とか、『おおそう来るか!!(大褒めしてる)』みたいな予測不可能且つ素晴らしい事象が、彼は非常に多い。正に天才の所業なのです。

 実際、ジェシーには音楽に関する色々な場面で、『神がかっている』『神が宿る』と言える瞬間が、結構な頻度であります。

(分かりやすいのが、少クラで完全生歌披露をした事で話題になった『"Laugh" In the Life』や、同じく少クラで披露した『S.I.X』でのジェシーです。文字通り『神がかって』いたと思う。)

 

 ここで声高に言っておきたいのが、ジェシーの凄い所は、音楽の神様からの寵愛を受け『続けて』いる点です。

 これまた諸説あるでしょうが、自分は神様にも『自我』があると思っています。(むしろ人間より神様の方が自我が強いと思っている。自分はギリシャ神話が好きなので、その影響でより一層そう思うのかもしれない。)

 つまり、神様は愛したいと思った相手しか愛してくれないわけです。飽きたらそこでさようなら、気が変わる事もあるかもしれない。

 

 ジェシーに限らず、今我々が見ている天才達は皆、その期間に多少の差はあれども『天才で在り続けている』方々ばかりですよね。

 それが、どれほど難しく苦しいことか。

 『あいつは天才だから』『次は何をやってくれるんだろう』という大きな期待や羨望の眼差しによるプレッシャーをはじめ、『天才が天才で在り続ける』事の苦悩は、きっと天才本人にしか知り得ないものなのです。

 それに伴い言わずもがな、凄まじい努力もしているでしょう。天才は、努力が何かを成し得る為に必須の手段である事を本能的に理解しているのかもしれません。(又は、努力を努力とも思っていない場合もある。どっちみち凄い。)

 そして、それらが我々の予想を遥かに超える厳しさであることは、容易に想像が出来ます。

 

 あくまでも空想に過ぎない話ですが(神様が出てきた辺りからずっと空想だけど)、おそらくその苦悩を受け続けている人を、神様は特別に愛したいと思うのかもしれません。

 

 更に、天才が天才で在り続ける事によって、その天才は『錬成』されます。

 ジェシーは今の時点でも間違いなく天才ですが、その天才が錬成されたら、いよいよ大変な事になります。

 彼が表舞台に立ち続ける限り、『錬成』もされ続けますから、もうそれはそれはすんごい事になるでしょうね…!

 

 

⑥結論

 以上の内容から分かる通りの『天才』であるが故に、ジェシーの音楽的考察はすこぶる書きにくいのです。

 

 ちゃんと書きますよ?書きますいつも通り。声の話をして、本人の特性を話して、グループでの音楽的ポジションの話もしますよ?

 しますけど、書きにくい事実は変わらないんですよね。笑笑

 

 

あとがき 

 そんなこんなで、只今『ジェシーの音楽的素晴らしさを語る。』記事を絶賛書いてる最中でございます。

 仕上がるのがいつになるかは、自分でも分かりません!まぁ未来の自分が何とかしてくれる事を願っています。頼んだよ〜。苦笑

 

 聴衆の理解出来る範疇を最高に良い意味で超えているジェシーに、心からの敬意と感謝と愛を込めて。

 

 ここまで読んで下さった猛者の貴方も、本当にありがとうございます。

 

 彼と彼を大好きな人が、それぞれにとって幸せでありますように。