【歌の職人】京本大我の音楽的素晴らしさを語る。
以前、自分は別の記事で、配信ライブon eSTで見受けられた『京本大我の歌声の進化』について相当語り散らかしました。
しかし、あれだけ長々と語っても尚、彼はとにかく音楽的な話題に事欠きません。
2021/01/17のSixTONESANN内のジングルオンエアバトルで、崎山蒼志さんの《五月雨》をきょもがギター弾き語りでカバーした音源が放送され、話題になりましたね。
ラジオジングルとしての機能を果たす為に定められているであろう『名前と番組名を言う』ルールを完全に無視し、『尺一杯ただただ弾き語るのみ』という暴挙に出た大我坊ちゃん。
本来であれば、ルールをガン無視した坊ちゃんの御戯れにツッコむべきなのでしょう。
ですが、その弾き語りのクオリティが余りに高く、自分はすっかりツッコミの人格を捨て去っていました。ギター上手くなってたな…。
彼は、常に進化し続けています。
それを痛感した自分は思いました。
この際、京本大我の音楽的素晴らしさを今一度、根本から語り散らかそうじゃねぇか。
…とそんなわけで、本記事は音楽的素晴らしさを語るシリーズのきょも回でございます。
よろしければ最後までお付き合い下さい。
まえがき(という名の保険)
筆者は音楽に関しての専門性を持ち合わせた者ではありません。
端的に言えば、ただの音楽好きです。あと声フェチです。
故に、この記事の内容は完全なる個人的考察となります。予めご了承下さい。
もし何か間違えていましたら、(出来れば優しく)教えて頂けると助かります。どうぞ宜しくお願い致します。
京本大我の音楽的素晴らしさ
早速参りましょう。
京本大我の音楽的素晴らしさは、大きく分けて以下の3つと考えます。
①歌声の華
②プレーヤースキル
③SixTONESにおける音楽的ポジション
順に解説(という名の考察)をして行きます。
①歌声の華
京本大我は、間違いなく『歌声の持つ引力が強い』です。
この場合の『引力』とは、『能動的引力』を意味します。
こちら側に手を差し伸べ掴んだ途端、決して離さず、『こっちへ来い!』と引きずり込む様な引力。気がついたら境界線を跨いでしまっており、逃げ出せなくなっている。
そんな引力を、きょもの歌声は持っているんじゃないか。
…自分はそう思っています。
では、具体的に説明していきます。
歌声による初聴殺し
まず、きょもの歌声は『初聴殺しが得意』だと思われます。(表現が物騒ですみません)
初っ端から1つ、思い出話を。
まだSixTONESが、『SixTONES』として地上波の音楽番組に出演する機会が少なかったデビュー前の話です。(デビュー前からスト担の貴方は是非思い返してみて欲しい。)
音楽番組や音楽特番での初パフォーマンス直後、ひとしきり思いの丈をツイートし終えたスト担がよくやる事がありました。
それは、TwitterでSixTONESのパフォーマンスについてパブサすること!
その際、我々が検索欄に入れた鉄板ワードの1つが、『ストーンズ 金髪』といったきょもを示すワード。
実際、そのワードはパブサで引っ掛かりやすく、きょもはSixTONES初見初聴の方々から頻繁に『あの金髪の人歌上手い!』と歌声を褒められるツイートをされていました。
そんなツイートを見つけてはニヤニヤし、そっといいねを押して、何事も無かったかの様にその場を立ち去ったものです。
(何なら自分は今でもパブサすることがある。)
この様な初聴殺し現象を起こす為には、文字通り『歌声で聴衆の心を引き付ける』必要があります。
長い音楽特番でお目当てのアーティストが出ていない時間帯、多くの視聴者は『なんとなく』テレビをつけているはずです。スマホを触っていたり、他の作業をしている人もいるでしょう。その様な人々を『?!』と思わせ、もう1度テレビ画面に注目させるには、画面から逸らされている目ではなく、常に開かれている『耳』に訴えかけねばなりません。
パブサで引っ掛かるのは即ち、この初聴殺しを毎度毎度やっていたという事です。
したがって、きょもは間違いなく『歌声の引力が強い』と言えます。
歌声に熱烈な固定客がつきやすい
次に、きょもの歌声は、『熱烈な固定客がつきやすい』歌声であると考えられます。
彼の歌声は、ある層に対して、ほぼ確実にクリーンヒットする声質と歌い方等の特徴を持っています。少し深めの潤った声質、ハイトーンボイス、しっかりとかけられたビブラート…。
もうお気付きかもしれませんね。
その『ある層』とは、率直に申し上げますと『バンギャの血』を持つ方々のことです。
これを読んでいる貴方がご存知無い場合もあると思いますので、『バンギャ』について軽く説明しておきます。
『バンギャ』とは、すんごい簡単にざっくり言うと、『V系(ヴィジュアル系)のバンドを熱く推している人々』のことを表す言葉です。
(その定義については諸説あります。少なくとも自分は上記の様に認識しています。)
(V系バンドの例を挙げるならば、Imitation Rainを提供して下さったYOSHIKIさんがリーダーを務めるX JAPAN、BUCK-TICK、GLAY、LUNA SEA、hydeさんがボーカルを務めるL'Arc~en~Ciel(ラルク)が有名所でしょう。あとは『女々しくて』のゴールデンボンバーも(多分)その系譜と思われます。バンドメンバーが目周りを中心に世界観のあるメイクをしているのが共通した特徴です。因みに、タレントのDAIGOさんが組まれているバンドもV系っぽい。歌い方的にも多分V系のそれです。)
(声を大にして言っておきたいのが、自分はV系に関して全く詳しくありません。上記のバンドくらいしかほぼ知らないレベルです。どうかお手柔らかに…!)
この『バンギャ』の方々は、個人差はあれども、推しのバンドを半ば『崇拝』や『狂信』にも近い形で応援している節があります。
とにかく応援の仕方や推しバンドへ向けられる愛が濃厚で熱いんですね。それもある種『バンギャの血』なのかもしれません。
そして、これは自分が最近知った事なのですが、『V系』というジャンル、もっと言うとその系譜・血脈はかなり広がっており、その広さ故に消費者人口もかなり多いようなのです。
つまり、バンギャ含むV系好きの人口は、パンピーが思っとるより全然多いということ。
この様な方々(しかも決して数は少なくない)に刺さる歌声を持っているのならば、必然的に熱いファン即ち『熱烈な固定客』もつきやすいと考えられます。
そんで、きょもはその手の方々に刺さる歌声なのでは?と自分は思っているのです。
その理由こそが、他でもない『歌声の引力』だと自分は思っています。
V系と呼ばれるバンドのボーカルの方々の声を想像してみて下さい。
皆さん、とにかく歌声の能動的引力が強いんですよ。自分達の世界に引きずり込む力が半端なく強い。
更に、V系に限らず、『崇拝』『狂信』に近い形の応援をされがちなミュージシャンは、どうやら『歌声の能動的引力が相当強い』という共通点がありそうだなと自分は思ってまして。
端的に言えば、『歌声の引力がめっちゃ強いと教祖化しやすい』説ですね。『〇〇様』と呼ばれがちor呼びたくなるミュージシャンは何故か皆歌声の引力が強いんですよ。
(椎名林檎女史は確実にそのタイプだと自分は思います。自分は林檎女史が好きなのですが、呼び捨てにするのはやはり気が向きません。)
(余談ですが、『声の能動的引力』を思う存分体感したい方には、椎名林檎女史と先述したBUCK-TICKのボーカル櫻井敦司さんとがコラボされている『駆け落ち者』がおすすめ。すんごいです。これを聴いたらもうずっと頭から離れない。曲の中から出られなくなる、正に圧倒的な『歌声の引力』を目の当たりに出来ます。)
その様な能動的引力に惹かれる方々に、歌声が刺さるならば。
京本大我の『歌声の引力』が、生半可な強さではないことは自明でしょう。
きょも担の方々が、やや狂信的な傾向にある(様に自分には見える)のも、この引力の事を考えれば納得出来ちゃうんですよね〜。
彼の歌が刺さっちゃった人は、もう2度と離して貰えないと思います。
(そもそも自分は離れる気もない。笑)
歌声の『華』とは
ここまできょもの歌声が持つ引力について語って参りましたが、この『引力がある』というのは『華がある』と言い換える事が出来ると自分は考えています。
『華』とは何ぞ?という問いはとても難しい問いではあります。
しかし、少なくともその中に、上記の様な『とても強い引力』は含まれると思うのです。
よって、『京本大我の歌声には華がある』と自分は声を大にして言いたい。
京本大我の歌声には華があるんだぞ!!!
(…ほんとに大声で言ったよこの人←)
②プレーヤースキル
先に言っておかねばならぬ事があります。
ここからの内容には、以前上げた別の記事(本記事冒頭でも触れたやつ)の内容と重複する点が多いです。何卒お許しを。
おそらく、以前の記事の方が簡単に書いてあると思うので、そちらと読み比べてみても面白いかもしれません。
(…そんな猛者がいらっしゃるかはさておき)
↓以前上げたきょもに関する記事はこちら↓
ご興味ありましたら是非。
shea-butter-six.hatenablog.com
さて、既に貴方は気になっておられるかもしれません。
『他のメンバーの時は①で声そのものについて話すのに、今回は歌声の事しか言っていないじゃないか!』と。
鋭い!流石ですね。
実は今回、音楽的な話をする上で、きょもの素の声に言及しなかった、いや、『言及出来なかった』のには、ちゃんと理由があります。
それは、京本大我の『歌声』が、良い意味で素の声から遠い位置にあるからです。
勿論、きょもの素の声(普段喋っている時)には、魅力的な特徴がいくつかあります。
高音域の声である事、潤いがある事、滑舌が良い事、等々。
しかし、これらの特徴は、きょもの『歌声』を前にすると、ただの『要素』や『前提』に過ぎないものとなります。
上の発言は、断じて彼の素の声を貶しているわけではありません。
この発言の意図は、『京本大我の圧倒的プレーヤースキル(後述します)の高さが故に、素の声からは想像出来ないレベルの事象が彼の歌声では展開されている』ということです。『きょもの意図によって、歌声が作り込まれている』とも言えます。
これを先程自分は、『彼の歌声が良い意味で素の声から遠い』と言ったんですね。
まず始めに、『プレーヤースキル』について話しましょう。
歌とは、ある意味で特殊な演奏法です。
楽器であれば、基本的に人がプレーヤーで、楽器は楽器自体が担当します。当たり前の話ですが、楽器とプレーヤーは別々ですよね。
一方、歌では、プレーヤーも楽器も人。しかも全て同じ人が1人で担当します。
しかし、実際の演奏中(歌唱中)にやる事は、楽器の演奏とほぼ変わりません。
楽器のメンテナンスをする様に身体のメンテナンスが必要ですし、それが壊れてしまうと演奏(歌唱)出来ない。より良い音(歌声)を出したければ楽器(身体)そのものを改造するか、演奏技術を上げるしかない。…等々。
つまり、歌という演奏法は楽器と同様、楽器(身体)自体のスペックと、プレーヤーのスペックの両方がお互い密接に関わっており、それらの両方によって演奏(歌唱)の違いが出てくるというわけです。
そんで、この話で出て来た『プレーヤー』としてのスキルが、京本大我は異様に高いという事を声高に喋るべく、このブログを自分は書いていると言っても過言ではありません。
それでは、具体的にきょものプレーヤースキルの高さを語って参ります。
『プレーヤースキル』とカタカナでそれっぽく書いておりますが、これは平たく言うと『声の操作能力』の事です。『こう歌いたいな』と思った通りに歌う能力、とも言えます。
上であたかも普通の事かの様にサラッと書きましたが、冷静になるとこれってめちゃくちゃ難しい事なんですよ。
ちょっと考えてみて欲しいんですけど、何かをやる時に、何でもイメージ通り簡単にポンと出来るなら、誰も人生苦労しませんよね?
んな事出来るんやったら、この世にいる全員の夢や目標は漏れなく叶いますもん。出来ちゃうなら理想通り行きますからね。
でも現実はそうじゃない。
イメージ通りやる為には、程度に差はあれど努力をしなければなりません。
そしておそらく(と言いつつもほぼ確実に)、京本大我は上記の様な『自分のイメージ通りに歌う為の努力』を、血反吐を吐くくらいやっていると思います。多分リアルに吐いたりもしてると思う。
そう思わざるを得ないくらいに、京本大我は音楽に関しての全てを『意図的に』やっていそうなのです。(個人的にはそう確信している)
きょもは歌う時、全ての要素を完全に『意図して』やっています。
ビブラートをする時は、必ず『ここでビブラートするぞ』と思ってビブラートしているし、何かしらのニュアンスをつける時も必ず、『ここでこのニュアンスをこうやってつけるぞ』と思ってその通りにやっているはずです。少なくとも自分にはそう見えます。
そうじゃないと、特にあの再現性の高さは生み出せないんですよ。
きょもの声の操作能力の高さが最も分かりやすいのが、歌の『再現性の高さ』だと自分は思っています。
毎回同じ様に、同じニュアンスで、同じ高いクオリティで歌う。これがどれほど難しいか。
(彼の歌の再現性については以前のブログでも言及しております。もしご興味あれば②の始めに貼ったリンクからどうぞ。)
巷で言われる『口から音源』をやっておられるのは、皆さんこの『歌の再現性』に優れている方々です。(福山雅治さんは正にこれ。)
加えて凄いのが、きょもは歌を試行錯誤する研究欲もお持ちなので、どこかの時点でこちらの方が良いと判断した場合、その部分の歌い方を変えやがるんですよね〜!!(言い方)
結局、それも意図的に『こうしよう』と思った事をやっているわけですからね。意図してそれが出来るのが凄い。
別の記事で慎太郎の音楽的素晴らしさに対する考察を繰り広げた際に、『慎太郎は音楽的運動神経とも呼べる野生的感覚が凄過ぎる』と書きました。
一方、きょもの場合は、音楽に関してはかなり『理性的』です。隅々まで計算され尽くされている。しかも、その計算をしっかり具現化しているんですね。だから凄い。
↓慎太郎の野生的感覚を書いた記事はこちら↓
ご興味あればぜひ。
shea-butter-six.hatenablog.com
とりあえず、京本大我は歌声の操作能力、プレーヤースキルが高過ぎます。
これは基本的に練習で鍛えられるスキルなので、きょもが吐くほど練習しとるだろうという予想(の皮を被せた確信)が持てるのです。
作品にもよりますが、クラシックやミュージカルは、上記の様な声の操作を極端に高める芸術(訓練し様式美を完璧に表現し切る事が美徳とされる)でもある(と私は考えている)ので、彼にミュージカルの仕事が継続して来ているのも、『そりゃそうだ案件』なのかもしれません。
少々本筋から外れるのですが、前に妹(自分よりも耳が良くて、このブログで話している様な音楽の話が説明無くとも難なく通じるライトなSixTONESファン)と、きょもについて話した事がありました。
『きょもはパフォーマンスを全部分かってやってるよね』と意見が一致し盛り上がっていた所、何気なく妹がボソッとこう言ったんです。
『だからモノマネが出来るんよ。』
……お前!!!!天才か?!本当に仰る通りだわ!!妹あんためちゃくちゃ的を得とるやんけ、姉は感動したぞ!!!!!!
うちの妹が言う通り、声の操作能力が高くないと声マネや歌モノマネは出来ないんですよ。
巷で囁かれていた『モノマネすると歌が上手くなる』理論はここがミソだったわけです。
とにかく、京本大我は、音楽的に鍛えられる箇所は全て鍛えていると思います。
凄いよ。ほんと、プロ中のプロだよ。
③SixTONESにおける音楽的ポジション
ここからは①と②の内容を、どうSixTONESというグループに還元していくかについて話していきます。
まず、京本大我の歌声の華は、間違いなくteam SixTONESの人員を増やすきっかけになります。早い話が、『新規ファン獲得力が高い』ってことです。
(何を隠そう、毎度初聴殺しが炸裂する激強引力ですからね!)
しかも、きょもが獲得した新規ファンは熱いSixTONESファンになってくれそうな方が多い傾向にあると既に予想が立っています。
実際、きょも担かどうかに関係無く、スト担の中でも彼の歌声がきっかけでSixTONESの存在を気にし始めた方を自分はよく見かけます。
SixTONESは世界を見据えているグループです。その『世界』には、当然日本も含まれていますから、日本の音楽番組に出たり、日本で流通する音源を出したりする中で『新しい熱きファン』がteam SixTONESに加わってくれる事は願ったり叶ったりなわけです。
更に、京本大我レベルの圧倒的なプレーヤースキルを持つメンバーがいる事が、グループにどれだけの利益をもたらすかは、正直計り知れません。
例えば、ゲームのパーティ内にめっちゃプレーヤースキルが高い人がいたら、これは勝ち確だなってなりますよね。
声の操作能力があんだけ高い人がメンバーにいたら、グループは勝ち確なんですよ。
つまり、 SixTONESは勝ち確なんです。
京本大我がいるから。
操作能力が高いので、きょもは音楽的にメインもフォローもハイライトもローライトも全てその技術でこなせてしまいます。
メインやハイライトをやる時は、彼の持ち前の歌声の華がより活きてくるので、文字通り曲に華を添える事が出来る。
しかも、ここ最近のきょもさんは特に、音楽的手数や声のバリエーション等が増えていますから、新種の音楽的攻撃パターンが次から次へと出て来る。
もはや職人の域です。歌の職人。
京本大我の存在は、SixTONESの音楽に多大なる影響と恩恵を与えているんですね。すご。
あとがき
繰り返しになりますが、京本大我のとんでもない凄さは、これらの内容を『意図的に』やっている事。
そして、それらを実現する為の技術を『努力して』得た事にあります。
自分はしょっちゅう、『何とかしてきょもに労いの意を伝えたい』と真剣に考えるのですが、未だその為の上手い方法を見つけられていません。
結局、『SixTONESの音楽を素直に楽しむ』という方法が、京本大我の努力に報いる最善の手段だと思うのです。
どうか、どうか、彼に沢山の愛と素敵な音楽が降り注いで欲しい。
別記事でも全く同じ事を書きましたが、きょもの事を思うと、自分はどうしてもここに行き着いてしまいます。
歌の職人である京本大我に、心からの敬意と感謝と愛を込めて。
ここまで読んで下さった猛者の貴方、本当にありがとうございます。
彼と彼を大好きな人が、それぞれにとって幸せでありますように。