【きょもほく専売品】on eSTの衣装から《ってあなた》を読み解く。
昨今話題のトピックは数多ありますが、その中でも一部界隈限定ながら大激震を走らせたものがあります。
1/6にリリースされたSixTONESのファーストアルバム『1ST』初回盤B:音色盤に収録されているユニット曲《ってあなた》。
あの『きょもほく』がユニット曲をやる!
その知らせが届くや否や、あるスト担は狂喜乱舞し、あるスト担は喜びの余り嗚咽し、またあるスト担は三途の川の手前の岸までは見たと言い始めるほど。吉報を受け界隈では文字通りの大騒ぎになりました。
そして今も尚、大騒ぎは続いています。
まず曲が良い。歌割りも良い。歌詞も良い。MVも良い。ビジュアルも良い。世界観も良い。そもそもきょもほくってのが良い。
《ってあなた》は各所で『良い良いの祭』を自然発生させました。
言わずもがな自分も良い良いの祭に参加し、参加出来ぬ時にはその様子を横目で見て『むむむ、これはあまりにもきょもほく…』とギリギリ意味が通るのか通らんのか分からんことをブツブツとボヤく始末。
そんな祭りの最中、先日の生配信ライブ『on eST』が決定。それに伴い、《ってあなた》のパフォーマンスも配信されることに。
自分も嬉々として参戦し、いよいよやって来たきょもほくのターンを目に焼きつけるべくPCを繋いだテレビの画面を凝視していました。
そろそろか、そろそろだな、来た!!!
…衣装があまりにきょもほくやん。これはきょもほく!
以前、生配信ライブon eSTの感想記事の中で、自分は《ってあなた》についてこんな事を書きました。
個人的には衣装の違いも注目ポイントかなと思っています。
黒を基調とした服で、大きいフードを被って胸元やらお腹やらのファスナーが開いたままのきょも。対して白基調の服で穴の空いた傷んだ服に眼鏡の北斗。
これは別途考察を書く予定です。
この『別途考察』こそが今回の内容です。
引用した文章を含む配信ライブon eST 1/7公演の全曲感想記事はこちら↓ご興味あれば是非。
shea-butter-six.hatenablog.com
と言うわけで、生配信ライブon eSTでのパフォーマンスの際にきょもほくが着用していた『衣装』にフォーカスを絞り、《ってあなた》の物語を考察して行きます!
まえがき
以下の内容への保険
以降の内容は筆者の完全なる主観に基づく解釈・考察になります。勿論、自分は衣装に関する専門家でも何でもありません。
ただの考察したがりなSixTONESファンによる文章と思って頂き、何卒ご容赦下さい。
また、衣装につきましても私の曖昧な記憶を元にして書いておりますので、ディティール等間違えているかもしれません。
間違っていたらぜひ(出来れば優しく)教えて頂きたいです。どうぞ宜しくお願いします。
物語の設定
今回は『衣装』について語りたいので、物語そのものの大まかな筋書きについては最初に仮のものを用意しました。
あくまで私の考え方なので、これが正解ではありません。解釈の正解は楽しむ人の人数分あります。考察を展開するにあたっての便宜上のものだと思って頂けると幸いです。
1.きょもほくは別の世界線にいる。
2.相手の女性は同一人物で年上。(各世界線に1人ずつ存在しているとする。)しかし人が同じなだけで、言動まで完全同一ではない。
3.女性との関係は順調ではなかった。
4.紆余曲折の末、きょもほくはそれぞれ女性にフラれてしまう。
上記4点を設定し、以降話を進めて行きます。
本題 衣装から考察する《ってあなた》
まず、自分はきょもほく共にトップスが曲中における彼等の精神状態や心を表現していると捉えました。
これ以降に出てくる考察内のきょもほくは全て『《ってあなた》の世界の住人の京本大我と松村北斗』となりますので、ご注意下さい。
では、1人ずつ詳しく見ていきましょう。
京本大我の場合
きょもの衣装の主な特徴はこちらの4つ。
①真っ黒のパーカー
②大きいフード
③パーカーのファスナー
④ファスナーは開いたまま
順に考察して行きます。
①パーカーの黒は精神の色
きょものトップスは黒いパーカーです。
このことから、おそらく彼は女性と出会う前から多少なりとも精神が荒んでいたのではないかと考えます。
以前より煤を被った真っ黒の精神状態だった彼は、もしかすると女性と出会ったことで何かしらの光を見出したかもしれません。ときめきだったり、憧れだったり、恋心だったり。
しかし、もう彼女は彼の横には居ません。
彼の心に差したと思われた光は、彼女と共に消えてしまったのでしょうか。
彼の心は今日も真っ黒です。
②大きいフードを被っている理由
きょもの衣装で自分が1番目についたのはこの大きな黒いフードでした。
1曲通して彼はフードを被っていましたね。曲中にフードが目にかかるくらい深く被るシーンも見受けられました。
即ち、きょもは彼女が居ない現実を見るまいと思っているのではないかと思います。
フードを取ってしまえば、彼女が側に居ないことがいよいよ彼の中の現実になってしまう。
ならば、フードをより深く被ればいい。
見なければそれを実感する事はありません。このまま彼女が居なくなった事実も無かったことになれば良いのに。
そう思いつつ、どんどん彼の視界も黒くなっていきます。
③パーカーにファスナーをつけたのは誰か
彼の黒いパーカーには、位置も数も長さも不自然なファスナーがついています。
このファスナーを彼の黒い精神に縫いつけたのは誰なんでしょうか?
もし彼女だとしたら、どういうつもりだったんでしょう。彼女は遊びのつもりでファスナーをつけたのでしょうか。
彼からすれば、彼女から心に銀色のきらめきを貰ったように見えたかもしれません。でもそのきらめきも今は虚しいだけ。ますます目を開けるのが嫌になり、フードをまた深く被るしか彼にはなす術がありません。
④開けっ放しのファスナー
彼女がつけてくれたファスナーは、開けっ放しです。誰が閉めるのでしょう?
彼はきっと気が付いているはずです。
このファスナーは他でもない、自身の手でひとつひとつ閉めなくてはならないと。ですが、恋しい彼女がつけたファスナーを自分で閉めることは、彼にとって彼女との思い出に蓋をすることと同義。
彼女は俺を遊んだのかもしれない。そしてそのまま、元に戻さずに行ってしまった。
…もうやめてくれよ。
松村北斗の場合
それでは次に、北斗の衣装の主な特徴である
①白いトップス
②トップスは少し汚れていて穴も空いている
③赤い糸によるステッチ
④眼鏡(度が合っている設定で考察します。)
の4つを順に考察して行きます。
①トップスの白は精神の色
北斗のトップスの地の色は白でした。更に言えば、ボトムスも白でしたね。全身白。
察するに、彼は彼女に出会う前から純粋な人だったのでしょう。
もしかすると、これほど狂おしいまでに恋しく思った相手は彼にとって彼女が初めてなのかもしれません。彼の全てを投げ売って彼女を愛したのかもしれない。
しかし、もう彼女は彼の横には居ません。
彼の純白の心は、彼女と同じくもう戻らないのでしょうか。残された彼が着るそれは、所々薄くグレーになってしまいました。
今日の彼の心は、真っ白とは言えません。
②トップスが傷んでいる理由
こちらも北斗の衣装で特に目についた特徴でした。全面ダメージされた白のトップス。
真っ白だったはずがそこかしこに穴が空いて、完全に修復不可能な状態です。
ここまでのダメージを彼に与えた存在、それは間違いなく彼女でしょう。今でも忘れられない、恋しい彼女につけられた沢山の傷。
ボロボロの袖口で何度も涙を拭う北斗。一体何故そんなことを続けるのか。
心は元には戻らない。癒やしてくれる人も居ない。治してくれる人も居ない。
でも、この心と服に空けられた穴と、傷と、汚れは全て彼女がやったものだから。
側から見てみっともないかどうかは問題ではない。彼女の存在が近くにあるかどうかが問題なのだ。不毛な事とは分かっているけれど。
そう思いつつ、また彼は涙を拭います。
③トップスを赤い糸で縫ったのは誰か
彼の白いトップスの肩辺りには赤い糸でステッチがしてありました。
このステッチを縫いつけたのは誰なんでしょうか?
もし彼女だとしたら、何の為にわざわざ縫ったのでしょう。遊びのつもりで?それとも意図して?何故赤い糸を使ったんでしょうか。
北斗から見れば、彼女から貰ったプレゼントのリボンの様に思えたのかもしれません。しかしながら、そのリボンを解いても中身は無い。
目から勝手に溢れ出てくる涙をまた、ボロボロの袖口で拭うしか彼には術がありません。
④眼鏡をかけて見ようとしたもの
心身共にボロボロの彼は、何故か眼鏡をかけていました。一体何を見ようとしているのでしょうか?
彼はきっと分かっているはずです。
このまま彼女の幻影を追ってばかりでは自分がダメになってしまう。彼女のことはもう思い出にして、現実を見なくてはいけない。もう十分ボロボロになった。もう良いだろう。
そうだと分かっている。痛過ぎるほどに。俺が1番分かっているのに。
何故?何故涙は止まってくれない。
…冗談でも笑えない。
衣装から考察する故の考察
以上の内容を踏まえつつ、更に私が考えているのが、『曲の世界のきょもほくは服(衣装)を自ら着ているだろうな』ということです。
成人男性は基本的に自分で服を脱ぎ着します。よほど親密な仲ではない限り、服を脱がされることはまだしも服を着せてもらうことはないと考えた方が自然でしょう。
つまり、曲の世界にいるきょもほくは、これまでに述べた意味(と言う名の考察)を含んだ服を、『自らの意思で』『自らの手で』着ていたと考えられます。
もっと言えば『自ら望んで』着ているのかもしれない。
そうだとすると、更に見えてくることがあります。
京本大我は、自ら進んでフードを被って視界を塞ぎ、再び闇に身も心も落とした。ぽっかりと開いたファスナーを未だ閉めようともせず、それを彼女に縫いつけられた服に彼はあの日から袖を通し続けているのかもしれない。
一方松村北斗は、純真無垢だったはずの心を女性に傷つけられ修復不可能な穴まで沢山空けられた。それと同じ有様で彼女の面影が見えてしまうトップスで涙を拭う為に、彼は己の意思でようやっとその服を着たのかもしれない。
彼等がその服を着替えようとするまでには、もうしばらく時間がかかりそうです。
彼女と、彼女との思い出に見切りをつけるなんてことは到底出来そうにないから。
あとがき
きょもほくにはかなり悲しい目に遭ってもらうことになってしまいました。ごめんよ…。
因みに、きょものファスナーと北斗の赤い糸のステッチに関しては、『自分自身で縫いつけたルート』もアリだなと思っています。
これはこれで、別のしんどい感じになりそうで趣があるのでは?などと考えたり。
あとあと、北斗の眼鏡は『度なしルート』と『度が合ってないルート』も良さそう。くぅ、いくらでも考えられますね!笑
さて、ここまでの内容を書いていて自分は気がついたことがありました。
それは、《ってあなた》がとても受け皿が広い曲だということ。
自分がこれだけ楽しみながら好き勝手に、且つこの曲を通して『衣装』から考察をすることをやったからこそよくよく分かりました。
この曲の持つ、消費者に対する包容力はとてつもない。
受け皿の広さは、優しさです。
音で、歌詞で、MVで、衣装で、ステージで。
数々の方法で聴衆を楽しませ、我々の想像を掻き立ててくれながらも、誰も置いてけぼりにはしない。
かと言って、何かを無理強いすることもない。今回私は好きで考察を行いましたが、何も考えず、ただその美しさに見惚れ、聞き惚れることも出来る作品ですよね。
ちゃんとこちらへ向けた材料を用意した上で、『あなたの好きに楽しんでね』と我々に提示してくれている気がするのです。
加えて、その提示だけで終わるのではなく、ちゃんと『誰もが好きに楽しめるように』作られているのだな、と。
これは、エンタメという括りの中で最も優しい形の1つなのではないでしょうか。
世界観こそ刺激的ですが、自分は上記の考察を通して、この曲の持つ優しさにやっと気がつく事が出来ました。
溜息が出てしまうほどの美しさと広い優しさを併せ持つ曲、《ってあなた》。
この曲に出会えた事を嬉しく思います。
様々な形で楽しめる《ってあなた》を生み出して下さった作家陣・スタッフの皆様と、今回考察の材料にさせて頂きました衣装を作って下さったスタッフの皆様に、いち消費者として心より感謝申し上げます。
そして、この素晴らしい曲を見事に各媒体で表現し、我々に魅せてくれた京本大我と松村北斗に心からの敬意と感謝と愛を込めて。
ここまで読んで下さった猛者の貴方、どうもありがとうございます。
彼等と彼等を大好きな人がみんなそれぞれにとって幸せでありますように。